近藤勇の生誕地(生家)跡と龍源寺にある近藤勇の墓(調布野水)




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 新選組・局長の近藤勇は、武州多摩郡上石原村(現在の調布市)で生まれました。
 富農・宮川久次郎の子ですね。

 現在、人見街道沿いに、生家跡として産湯に使用したとされる古井戸と、昭和に建立された近藤神社があります。

 近藤神社

 上記写真が近藤神社で、下記写真が古井戸です。

 近藤勇の産湯・古井戸

 なお、宮川家があった場所は、拡張された道路(人見街道)を挟んだ向かい側である「近藤道場撥雲館」側であったとされます。
 昭和16年に運用開始された調布飛行場は、太平洋戦争によって北に拡張された際、宮川家の家屋は航空機が接触する恐れがあるとして、昭和18年に取り壊されてしまいました。
 そして、調布飛行場は首都防衛の為、三式戦闘機(飛燕)が配備され、B-29を100機以上撃墜し、五式戦闘機も70機以上撃墜すると言う活躍を挙げています。

撥雲館

 山岡鉄舟が命名した道場「撥雲館」が生家跡にあります。

 撥雲館

 撥雲館は個人所有で公開されている訳ではありません。
 敷地内に入る事は法律違反となりますので、見学にはご注意願います。


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龍源寺には近藤勇の墓

 板橋で斬首された近藤勇の遺体を、甥の天然理心流5代目・近藤勇五郎が引き取って、この生家近くのこの龍源寺に埋葬しました。

 龍源寺の近藤勇の碑

 近藤勇の銅像もあります。

 近藤勇

 なお、上記の石碑などは人見街道沿いの龍源寺の入口にあります。
 ただし、これだけではありませんので、龍源寺の境内に入って、本堂の裏手に進んでください。

 龍源寺

 すると、宮川家の墓があり、ここに近藤勇の墓があります。
 板橋にも近藤勇の墓所がありますが、あそこは明治になってから永倉新八らが建立した物で、近藤勇の亡骸がある訳ではありません。
 会津の墓は、土方歳三が、近藤勇の遺髪を納めました。

 近藤勇の墓

 板橋の墓所や、日野・石田寺の土方歳三の墓とも違い、ここの近藤勇の墓は、板橋で処刑された跡、首のない遺体を引き取って葬られましたので「本物」とも言えます。

 近藤勇の墓

 墓所には石碑や、甥・宮川勇五郎や妻・松井つねの墓もあります。
 また、近藤家の墓の隣に宮川家の墓があり、沖田総司が率いた新選組1番隊士・信吉(近藤勇の従兄弟)もここに眠っています。

 そして、龍源寺より東側にある、人見街道が野川と交差する橋は、村人が近藤勇の亡骸を迎えたとされる場所となります。

 さて、近藤勇の生家跡の南側は調布飛行場ですが、現在、ちょっとした公園に整備されています。

 武蔵野の森公園

 上記写真のちょうど右側が、宮川家があった場所です。

 調布飛行場

 調布飛行場は広いので気持ちも良いですね。
 時折り、伊豆諸島へと飛ぶ定期便の小型プロペラ機が離発着します。

 調布飛行場の掩蔽壕(えんぺいごう)

 上記は太平洋戦争中に使用された掩蔽壕(えんぺいごう)で、戦闘機を爆弾から守る遺構です。

 近藤神社や龍源寺への行き方・アクセスですが、電車の場合は、西武多摩川線の多磨駅から、徒歩10分と言ったところです。
 観光所要時間は、近藤神社と龍源寺あわせても約30分あれば充分です。

 車の場合は野川公園の有料駐車場が近くて便利です。
 1時間=300円。
 下記の地図ポイント地点が、野川公園の駐車場入口です。

 

 近藤勇が襲名披露試合を行った六社宮(大國魂神社)までは、車で約15分です。
 電車だと、ちっょと連絡が悪いのですが、西武多摩川線の白糸台駅で降りて、京王線の多磨霊園駅までちっょと歩けば、行けます。

近藤勇が襲名披露をした六社宮(大國魂神社)
近藤勇の詳細
勝沼の戦いとは~新選組の衰退を決定づけた甲州勝沼の戦い(柏尾の戦い)
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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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