- Home
- 過去の記事一覧
投稿者プロフィール
高田哲哉日本の歴史研究家
高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。
高田哲哉一覧
-
土方歳三の解説 新撰組副長としての「生き様」とは
土方歳三とは 土方歳三の信念は「武士よりも、武士らしく。」そして、夢は「新選組を天下一の組織にし、近藤勇を大名にする。」です。 土方歳三(ひじかた-としぞう)が生まれた家は、東京・多摩の豪農です。 多摩は徳川家… -
2分でわかる「福地源一郎」の解説~優秀な通訳で新聞社の社長になった文豪
福地源一郎とは 福地源一郎 (ふくち-げんいちろう)は、明治時代前期に代表的なジャーナリストとして知られます。 幕末の天保12年(1841年)、長崎の儒医である福地苟庵の子・福地桜痴(ふくち-おうち)として生まれ… -
パリ万博(幕末1867年開催)の解説【青天を衝け】~同行者・随行員リストも
パリ万博とは 日本では幕末期である、1867年に開催されたパリ万国博覧会(パリばんこくはくらんかい、Expo 1867)は、フランスの首都・パリにて実施された国際博覧会です。 42ヶ国が参加したパリ万博は、186… -
2分でわかる「向山一履」の解説~パリ万国博覧会に出席した全権公使
向山一履とは 向山一履 (むこうやま-かずふみ)は、幕末の幕臣で、旗本・一色真浄の3男として、1826年に江戸で生まれました。 母は、竹内氏の娘と伝わります。 幼いころから秀才だったようで、事務能力を評価されて… -
高松凌雲の解説~日本における赤十字運動の先駆者
高松凌雲とは 高松凌雲 (たかまつ-りょううん) は、幕末の医師で、天保7年(1836年)、筑後国御原郡古飯村(福岡県小郡市)の庄屋・高松与吉の3男として生まれました。 安政3年(1856年)、19歳になると久留… -
原市之進の解説~幕末の高名な水戸藩士で徳川慶喜の参謀
原市之進とは 原市之進(はら-いちのしん)は、幕末の水戸藩士で、原雅言の次男として1830年に、水戸向井町にて生まれました。 藤田東湖の従弟に当たります。 水戸の藩校・弘道館で学ぶと、英才ぶりを発揮したようで、… -
杉浦譲(杉浦愛蔵)の解説~日本の郵便制度創設などに活躍【青天を衝け】
杉浦譲(杉浦愛蔵)とは 杉浦譲 (すぎうら-じょう)は、幕末の幕臣で、1835年に、甲府で生まれました。 杉浦家は、代々、甲府勤番(こうふきんばん)を務めた約100名の旗本のひとりです。 その甲府勤番同心の長男… -
尾高平九郎(渋沢平九郎)とは 渋沢栄一の見立て養子になった飯能合戦の勇士
尾高平九郎とは 尾高平九郎(おだか-へいくろう)は、武蔵国榛沢郡下手計村(埼玉県深谷市下手計)名主である尾高保孝(尾高藤五郎保孝)の末子として、幕末の弘化4年(1847年)に生まれました。 母は尾高やへ(渋沢元助…
スポンサーリンク