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投稿者プロフィール
高田哲哉日本の歴史研究家
高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。
高田哲哉一覧
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正親町公董(おおぎまち-きんただ) 長州藩と関連深い公家
正親町公董(おおぎまち-きんただ)は、公家・中山忠能の子として、1839年1月24日に生まれた。 その後、正親町実徳の養子になっている。 なお、父・中山忠能は公武合体派の公家として活躍したことから、尊王… -
七卿落ち 京から長州への経路(ルート)と詳細なその後
七卿落ち(しちきょうおち)について詳しくご紹介したいと思います。 七卿落ちと言うのは、中川宮・薩摩藩・会津藩によるクーデターである、1863年8月8日の八月十八日の政変にて失脚した公家7人が、京都から長州に逃れ… -
益田親施(益田右衛門介) 禁門の変で長州藩総大将となった筆頭家老
益田親施(益田右衛門介)は長州藩永代家老・益田元宣の3男(次男とも?)として1802年に生まれた。通称は幾三郎、弾正、のち越中、右衛門介。 母は正室である益田房清の娘・益田孝子(美智子とも?) 益田親施(ま… -
島津忠義(島津茂久) 時代に埋もれていた最後の薩摩藩主
島津忠義(しまづただよし)は、島津氏分家である重富家・島津忠教の長男として1840年4月21日に生まれた。 母は島津千百子。 お由羅騒動にて薩摩藩第11代藩主となった島津斉彬は、1858年に死去した際、まだ実子が… -
島津久光(島津忠教)の解説 薩摩藩の実権を握り維新へと功績を残す
島津久光(しまづ-ひさみつ、島津忠教)は、薩摩藩の第10代藩主・島津斉興の5男として、1817年10月24日に鹿児島で生まれた。 母は側室のお由羅の方(江戸の街娘(町娘))。 このお由羅は、1824年に正室・弥姫が無… -
澤宣嘉 生野で挙兵に参加した七卿落ちの公家
澤宣嘉(さわのぶよし)は、権中納言・姉小路公遂の五男として1835年12月23日に生まれた。 幼少の頃から才知に長け、和歌・剣術・馬術に優れた若者であったと言う。 17歳のときに澤為量の養子なり、その娘… -
錦小路頼徳 下関で若くして命を落とした七卿落ちの公家
錦小路頼徳(にしきのこうじよりのり)は唐橋在久の子として1834年4月24日に生まれた。 のち、錦小路頼易の養嗣子となっている。 1851年に叙爵を受け、1853年には大和権介となる。 1858年、廷臣… -
四条隆謌~唯一帝国陸軍の道を歩んだ幕末の公卿
四条隆謌(しじょうたかうた)は、権大納言・四条隆生の2男として1828年9月9日に生まれた。 1862年10月、孝明天皇の侍従に就任。 1863年、中川宮や薩摩藩・会津藩による八月十八日の政変では、三条…
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