カテゴリー:西郷どん
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山内容堂(やまうちようどう)は、土佐藩連枝の山内南家当主・山内豊著(土佐藩12代藩主・山内豊資の弟)の長男として、1827年10月9日に生まれた。
母は側室の瀬代(平石氏の娘)。
山内南家は分家で1500石と、序…
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徳川家定(とくがわいえさだ)は、徳川幕府の第12代将軍・徳川家慶の4男として、1824年4月8日に江戸城西ノ丸大奥で生まれた。
母は側室の美津(堅子、本寿院)。
徳川家慶の男子は早世した子が多く、この徳川家定も幼…
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岩倉具視(いわくらともみ)は、1825年9月15日、公卿(権中納言)・堀河康親の次男として京都にて生誕した。
母は正室・勧修寺経逸の娘。
幼い頃から異彩を放っており、公家らしくなかったが、知恵物で知られその才から…
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五代友厚(五代才助)とは
五代友厚(ごだいともあつ)は薩摩藩士・記録奉行の五代直左衛門秀尭の次男として、江戸時代後期の1836年12月26日に薩摩国鹿児島城下の城谷で生まれた。名は友厚、通称徳助・才助、号は松陰。
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徳川御三家で幕末の水戸藩主・徳川斉昭(とくがわ-なりあきら)に関して、幕末期の動向に絞り、詳しくご紹介する。
3男で部屋住みの身分であったが、水戸藩第8代藩主・徳川斉脩が亡くなった際、藤田東湖・会沢正志斎ら藩内の志士が…
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長野主膳は、伊勢国飯高郡滝ノ村の出身で、1815年10月16日に生まれた。
先祖は上州長野家とも伝わるが、出自や若い頃は不詳。
本居宣長の国学に興味を持ち国学者となると、紀州新宮の領主・滝野次郎左衛門の妹であ…
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初めに尊王攘夷とはなんぞや?と言うところから解説致します。
尊王攘夷とは
尊王攘夷(そんのうじょうい)の「尊王」とは、王=すなわち「天皇」を敬い、「攘夷」(じょうい)は、外敵(外国の侵略)を撃退しようとする思…
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薩長同盟とは
薩長同盟(さっちょうどうめい)は、江戸時代の幕末である1866年1月21日に、京都の薩摩藩士・小松帯刀邸にて締結された、薩摩藩と長州藩の政治的・軍事的密約同盟。
薩摩藩と長州藩は、幕末の京都にて…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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