藤田嗣治とは~オダギリジョーさんが演じる画家FOUJITA


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藤田嗣治(ふじた-つぐはる)は、小栗康平監督が手掛けたフランス・日本の合作映画「FOUJITA」の主人公である。

藤田嗣治の父・藤田嗣章は、森鴎外の後任として陸軍の医師としては最高位の陸軍軍医総監(陸軍中将相当)となった人物で、1886年(明治19年)に藤田嗣治は4男として生まれたは。

早くに母を失い、幼いころから絵を描くのが好きだった藤田嗣治は、森鴎外の薦めもあり1905年に東京美術学校(東京芸術大学美術学部)の西洋画科に入学した。
映画ではオダギリジョーさんが藤田嗣治を演じている。

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1912年、女学校の美術教師であった鴇田登美子と駆け落ちし、新宿百人町にアトリエを構えたが、1913年(大正2年)、妻を残して単身フランス・パリへ渡り、1年余りで離婚となっている。
モンパルナス界隈に住むとフランスでは「ツグジ」と呼ばれ、パブロ・ピカソなどともに交流し、フランスに来た薩摩治郎八らの経済支援も受けた。

1914年に第1次世界大戦が始まると、灯火規制の中ひそたすら絵を描くも、生活は困窮し、絵も売れなかったので描いた絵を燃やして暖を取ったこともあったと言う。
その後、カフェで出会ったフランス人モデルのフェルナンド・バレエと2度目の結婚をすると、徐々に絵が売れ始める。
個展にて著名な美術評論家であるアンドレ・サルモンに評価されると、高値で絵が売れるようになり、急速に名声が高まった。

1920年代のパリにおいては、裸婦像を描いて一世を風靡したため、フランスでFoujitaの事を知らない者はいないほどの人気となる。
1921年、サロン・ドートンヌで独特の「乳白色の肌」と精緻な表現が絶賛を集め、日本画的な手法で乳白色の裸婦を描いた絵は見事に売れたと言う。

3番目の妻・ユキと別れ、4番目の妻・マドレーヌを伴い、何かを摸索するように南アメリカへも旅に出ている。

1933年、日本に一時帰国した後、25才年下の君代と出会い、1936年に5度目の結婚となったが、以後、君代とは終生連れ添っている。
1938年からは従軍画家として中国戦線を描き、のちパリに戻るも第2次世界大戦となり、1940年にパリが陥落する直前に日本へ帰国した。

日本では陸軍美術協会理事長に推挙され、哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘やアッツ島玉砕などの戦争絵を描く。
空襲が激しくなると、妻・君代(映画では中谷美紀さん)と共に藤田嗣治は相模湖に近い藤野町(相模原市緑区藤野)に疎開している。

敗戦後、戦争に協力したと言う批判に嫌気が差し、フランスへ戻るとパブロ・ピカソとの交友は晩年まで続いた。

1955年、フランス国籍を取得。
1957年、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られ、1959年にはカトリック洗礼を受けてレオナール・フジタと改名した。

1968年1月29日、藤田嗣治はスイスのチューリヒにて癌により死去。

君代夫人は藤田旧蔵品を守り続け、パリ郊外の旧宅をメゾン・アトリエ・フジタとして開館。
2007年、東京国立近代美術館アートライブラリーに藤田旧蔵書約900点を寄贈し、2009年4月2日に東京にて没した。享年98歳。

なお、君代夫人が所有していた藤田作品の大半は、ポーラ美術館、ランス美術館に収蔵されている。
また、日本では、東京のブリヂストン美術館、国立西洋美術館、赤坂迎賓館や箱根のポーラ美術館、秋田市の平野政吉美術館にて藤田作品が展示されている。

カテゴリー:明治・大正・昭和の人物

 

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