人吉での西郷隆盛や800年続いた相良氏に触れる人吉の見どころ




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熊本県人吉市にて西郷隆盛の足跡を辿ってみました。
ただし、西南戦争時の西郷隆盛関係だけではもったいないので、戦国時代の相良氏に関して寄り道させて頂いております。


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よろしければ、ご覧頂けますと幸いです。

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)は、大同元年・806年9月9日が創建と考えられています。
阿蘇神社の神主・尾方惟基(尾方権助大神惟基)が神託によって阿蘇神社から阿蘇三社の分霊を球磨郡青井郷に祀ったのに始まと伝わります。

その後、建久9年(1198年)に人吉領主となった相良長頼が、青井大明神の社殿を再興して氏神と定めました。
そして、神領216石となった青井阿蘇神社は、歴代の相良家より篤い崇敬を受け、延徳3年(1491年)には相良為続が社殿造営など修繕も行われています。
下記は国宝・楼門となります。

青井阿蘇神社

1558年2月26日に制定された相良家の17箇条の法が制定された際にも、この青井阿蘇神社にて制定に向けた話し合いや、制定後の神裁が行われたようです。
文禄の役での朝鮮出兵の際には、が戦勝祈願しており、帰国後の慶長2年(1597年)に球磨郡内の神社250余社の総社を青井阿蘇神社と定めています。
そして、社殿の大造営を行いましたが、江戸時代に入り人吉藩が成立しても崇敬を受けました。

青井阿蘇神社

現存の本殿、廊、幣殿、拝殿・楼門などの5棟は、相良長毎(相良頼房)と重臣・相良清兵衛が建立した桃山様式で、慶長15年(1610年)から3年かけて造営されたものです。

青井阿蘇神社

建造物としては日本国内最南端の国宝となります。

文化苑

青井阿蘇神社の左脇にある青井氏の邸宅と庭園は、2010年から「文化苑」として有料公開されており、むすび回廊が出入口となります。

むすび回廊

この青井氏と言うのは、平安時代初期の大同元年(806年)から明治時代までの約1100年間、青井阿蘇神社の大宮司を58代にわたり世襲した青井家の屋敷となります。

文化苑の庭園

下記の継承殿は、西南戦争の際に薩軍に加わった神瀬鹿三ら人吉隊の宿舎となっていました。

青井家の屋敷

グルッと廻った建物の奥側から、建物内部に入れますので、内部も見学可能です。
ただし、西郷関係は撮影禁止となっていますので、マナーは守りましょう。

文化苑

西郷隆盛ら薩軍は人吉・永国寺を本陣としていましたが、政府軍との決戦を前に薩軍は永国寺にて隊列を整えて出発し、青井阿蘇神社に入ると戦勝祈願と閲兵式を行ったと言います。

文化苑は300円の有料公開になっているのですが「無人」での受付となっていました。
200円はあったのですが、不足してお納めするのもバチが当たりますし、社務所などで両替してくださいと申し上げるのも、なんですし、どうしても500円玉しかなかった私は、500円を入れて、当然おつりは遠慮させて頂きました。
先に青井阿蘇神社をお参りさせて頂いた際に、お賽銭として100円をたくさん使用したのが、いけなかったのか、このような運命だったのか?
小銭はたくさん持参すると良いかも知れません。

文化苑の拝観時間は朝10時~16時で、毎週月曜が定休です。
拝観料は大人300、高校生以下100円、小学生未満無料となっています。

青井阿蘇神社への行き方・アクセスですが、下記の地図ポイント地点が参拝者用の無料駐車場となります。

その西郷隆盛が西南戦争の際に本陣を置いていた場所が下記の永国寺です。

永国寺

人吉の永国寺(えいこくじ、ようこくじ)は、相良氏第9代・相良前続の開基で、西暦1400年頃に現れたと言う「幽霊」を描いた掛け軸がある「ゆうれい寺」として知られます。
西南戦争の際に、田原坂で敗れた西郷隆盛らは人吉に撤退すると、33日間、本陣(本営)として使用しました。

人吉・永国寺

2016年の熊本地震の際に、本堂が破損したようで、修繕が行われていました。
下記の石碑は、境内にある人吉二番隊士の碑となります。

人吉二番隊士の碑

明治10年(1877年)6月の人吉市街戦で永国寺は焼失しましたが、その後、明治24年(1891年)に再建されています。

人吉・永国寺

なお、本陣は永国寺だったようですが、西郷隆盛の寝所は近くにある武家屋敷を利用したようです。
永国寺は大きな無料駐車場もあります。

武家蔵(武家屋敷)

人吉で滞在した際に、西郷隆盛が宿舎として使用したのが、下記の武家屋敷となります。

人吉の武家蔵(武家屋敷)

相良藩の家老屋敷跡で、現在、正面にある上記の「堀合門」は、人吉城から移築したものとなります。
母屋は、かつて球磨郡錦町にあった相良藩主の御仮屋を移築したものとされています。

人吉城跡

人吉城に関しては、戦国時代の相良氏の記事にて詳しく掲載させて頂きましたので、ここでは割愛させて頂きます。
なお、人吉城を見学する前に、人吉歴史資料館に立ち寄って事前知識を得てから行くと良いかと存じます。

人吉城

人吉城に関しては、詳しくは下記をご参照願えますと幸いです。

相良頼房と深水宗方・犬童頼兄~人吉城の相良家物語

続いて相良氏の菩提寺・願成寺です。

願成寺と相良家墓所

願成寺(がんじょうじ)は、相良氏初代・相良長頼の創建となります。
開山は遠江の旧領にある常福寺から招へいした弘秀上人(こうしゅうしょうにん)との事です。

江戸時代の寺禄は300石で、現在の本堂は明治10年の西南の役で焼失したあと、大正11年になって建てられたものとなります。

人吉・願成寺

願成寺から見て右奥(東側)に、相良家の墓所があります。

相良家の墓所

墓所の入口、正面に見えてくるのは、相良家の初代・相良長頼(さがら-ながより)の墓となります。

相良長頼の墓

相良長頼は建長6年(1254年)に78歳で死去しました。

そして、願成寺の金堂前に埋葬されたそうですが、戦国時代の永禄7年(1564年)に願成寺金堂を再建した際に、相良長頼の遺骨を金堂須弥壇(こんどうしゃみだん)の下に移し、金堂そのものが、相良長頼の廟所(びょうしょ)となったと言われています。
もし、現存していたら、それこそ国宝級だったかも知れませんが、金堂も明治10年(1877年)の西南戦争で焼失したとの事です。

その後、明治20年(1887年)に金堂跡を発掘して、相良長頼の墓石と遺骨を、現在の墓所に改葬し、明治21年(1888年)になって、石塔も完成したとの事です。

下記の一番手前が19代・相良忠房の墓となります。すぐ左は父・相良義陽の墓です。

相良忠房の墓

下記の右は、相良義陽の正室の墓で、左側は戦国時代に活躍した20代・相良頼房の墓となります。

相良義陽の正室の墓

下記のように、石田三成の供養碑、熊谷直盛の供養碑、その子・熊谷庄兵衛の供養碑、垣見一直の供養碑、木村勝正の供養碑、その子・木村伝蔵の供養碑もありますが、これらは関ヶ原の戦いの際の大垣城に関するものです。

石田三成らの供養碑

相良家墓所

九州南部の墓所は、非常にジメジメしているような印象があるのですが、ここ相良氏墓所は明るくて風通りも良く、ヘンな意味で快適にお参りすることができました。

相良家墓所

上記でご紹介した国宝の青井阿蘇神社、永国寺、武家屋敷、人吉城、相良家墓所のある願成寺の5カ所で、クルマ移動の場合、観光所要時間は2時間~3時間といったところです。

人吉観光マップ

国宝の青井阿蘇神社、永国寺、相良家墓所のある願成寺の場所や駐車場に関しては、下記のオリジナルGogoleマップにてまとめてありますので、よければご確認賜りますと幸いです。

さて、2020年7月4日、球磨川の氾濫により、人吉の市街地が水没致しました。
国宝である青井阿蘇神社「拝殿」は床上1mの高さまで浸水し、1段低いところにある、国宝「楼門」も約180cm冠水するなどの被害が出た模様です。

青井阿蘇神社

2020年7月4日、集中豪雨により球磨川(くま-がわ)が上流から下流までの全域にて氾濫し、人吉の街中も大きな被害となりました。
令和になってから、更に災害・感染病など、とても試練を与えられており、人吉の被害も大変心が痛みます。
甚だ些少で恐縮ですが、大雨災害への緊急災害支援募金にもご寄付させて頂きました。
被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧と、みなさまのご健康、そしてこのような被害が2度とないことを、お祈り申しあげます。
復旧が一段落したころ、また訪問させて頂ければと願っております。

オリジナルGoogleマップ(熊本の欄をご確認願います)
西郷隆盛ゆかりの地を効率よく巡る方法と見どころ紹介~鹿児島・熊本・奄美大島編
相良頼房と深水宗方・犬童頼兄~人吉城の相良家物語
石田三成とは~律儀で算術が得意だった才ある武将の印象も
熊谷直盛と熊谷直之~大垣城を守備した西軍の将
大垣城の歴史と大垣城の戦い~大垣城訪問記
西郷隆盛 【西郷吉之助】の波瀾な生涯が詳しく「まるっとわかる」詳細版
田原坂の戦いと吉次峠の戦い~西南戦争最大の激戦地と見どころ
西南の役・最後の激戦地である延岡「和田越えの戦い」と薩軍解散の地
城山~鹿児島の桜島を望む有名観光スポット(夜景も日出もキレイだよ)



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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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