田原坂の戦いと吉次峠の戦い~西南戦争最大の激戦地と薩摩魂


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日本最後の内戦となった西南戦争(西南の役)で最大の激戦地となった「田原坂」(たばるざか)をご紹介申し上げます。
1877年(明治10年)2月15日、珍しく鹿児島に雪が降る大雪のなか、約23000の薩軍が鹿児島の私学校を出発して、西南戦争へと突入します。
総指揮官は西郷隆盛 参謀格兼本営附護衛隊長は淵辺高照(元陸軍中佐) 副官は仁礼景通です。

ただし、実際の作戦面は、幹部会の議長であり、四番大隊長の桐野利秋(中村半次郎)と西郷隆盛が中心となっていたと考えられます。

加治木から龍門司坂を抜けて人吉を経て熊本へと向かった訳ですが、西郷隆盛は少し遅れる事2月17日に鹿児島を出発しています。

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そして、熊本隊(池辺吉十郎)約1500名、協同隊(平川惟一・宮崎八郎・崎村常雄)約500名、滝口隊(中津大四郎)約200名、飫肥隊(伊東直記・川崎新五郎・小倉處平)約800名、佐土原隊(島津啓次郎・鮫島元)約400名、人吉隊(神瀬鹿三・黒田等久麿・村田量平)約150名、都城隊(龍岡資時・東胤正)約250名、報国隊(堀田政一)約120名、高鍋隊(石井習吉・坂田諸潔)約1120名、中津隊(増田宋太郎)約150名、延岡隊(大島景保)約1000名といった所帯も薩軍に合流し、総勢は3万を超えたと言います。
始めから鹿児島の私学校にいた隊はある程度の訓練を受けていますが、行軍中に合流したぬ地方の隊士は、あまり軍事訓練を受けたことがない者も多く、しょせん、寄せ集めに過ぎない部分もあったようです。

しかし、大軍にて薩軍が熊本城を包囲したのは2月21日となります。

政府側は薩軍が行動開始してから僅か4日後には征討の勅を出しており、対処も比較的早いです。
有栖川宮熾仁親王を鹿児島県逆徒征討総督(総司令官)とし、実質的な総司令官となる参軍(副司令官)には陸軍中将・山縣有朋(長州出身)と海軍中将・川村純義(薩摩出身)を充てました。
また、最新式のガトリング砲も九州に送られ、小銃も6秒で1発撃てる元込め式のスナイドル銃などが主力でした。

これに対して、薩軍は先込め式のエンフィールド銃(ミニエー銃)で20秒~30秒に1発と旧式で命中率も悪く、装備面でも政府軍の方が優れています。

なお、政府軍は合計8万人が従軍しましたが、陸軍だけでは兵力が心細く、川路利良少将兼大警視が率いた警視隊(警察官)も参戦しているのが特徴です。
その警察部隊には旧幕府側の人材も多く、会津藩家老だった佐川官兵衛や、新選組だった斎藤一もいましたので、実戦経験もあります。

約14000にて熊本城を包囲した薩軍でしたが、城に籠る約4000の熊本鎮台総司令官・谷干城(たに-たてき)少将は、樺山資紀中佐、児玉源太郎少佐らと大砲やスナイドル銃を駆使して応戦します。

そのため、2月24日まで総攻撃した薩軍は消耗し、25日からは対峙する状態となりました。

そうこうしているうちに、歩兵第14連隊・乃木希典少佐などが熊本に迫ってきます。
※各写真はパソコンでクリックすると拡大致します。

そのため、薩軍の村田三介らが小倉城を抑える為派遣されますが、途中で官軍に遭遇し失敗しています。

薩軍の主力は九州を南下してくる政府軍に対応するため、高瀬方面へ進出すると稲荷山を巡って激しく戦いました。(高瀬の戦い)
西郷隆盛の弟・西郷小兵衛も戦死するなど薩軍は兵数で劣り敗れ、田原坂と吉次峠に主力を配置して防衛線を張り、新たに政府軍を撃退する作戦を取ります。

田原坂と吉次峠を攻撃する政府軍は木葉(玉東町)に本営を置きました。
下記は有栖川宮が司令部とした有栖川宮督戦の地(丸田公園)です。

少し離れたところには 官軍木葉本営址もあります。

そして、3月4日より田原坂と吉次峠への総攻撃が開始されました。
下記は田原坂同様の激戦地となった吉次峠です。

吉次峠の戦いも激戦となりますが、この吉次峠は脇に半高山(標高294m)と言う小高い山もあります。

半高山から政府軍が登って来た方向を撮影したものが下記です。

玉東町と田原坂方面も良く見えますが、このように半高山は薩軍の監視台の役割りも果たしていました。

しかし、この半高山を控えた吉次峠は薩軍の防御も有利で堅かったことから、政府軍は田原坂を突破する作戦に変更します。
田原坂の場所は下記の地図をご参照願います。

熊本に入る街道となる田原坂は、一の坂・二の坂・三の坂とあり、ふもとの豊岡眼鏡橋との標高差は80mとなります。

加藤清正が、 熊本城の防衛には欠かせない要所とした経緯があり、通行しやすい平地や谷間に街道を通さず、勾配のある丘陵の稜線に通していたのです。

急な坂道ではないのですが、うまい具合にカーブが続いており、攻め上る政府軍からすると先に何があるのか、わかりにくくなっています。
防衛する側としては、道の両脇の高い所から銃撃もできますし、大砲による攻撃も受けにくいですし、戦車がまだ存在しない時代ですと有利な地形だと分かります。

そのため、熊本を守る側にとっては都合が良い場所であり、薩軍もここで迎え撃ったと言う事になります。
この田原坂の戦い(たばるざかのたたかい)は、明治10年3月1日から3月31日まで約1ヶ月間も激戦が繰り広げられました。

弾薬の消費も激しい戦いで、政府軍は弾の製造を急いでいますし、補給に困った薩軍は、農民に官軍が撃った弾を拾わせたりしたとも伝わります。
1日30万発発砲したともあり、今でも田原坂周辺の土を掘ると、鉛の弾が出て来るそうです。

官軍の兵士の多くは徴兵された平民です。
そのため、士族中心であった薩軍は、刀を抜いて接近戦(白兵戦)を行うと言う「抜刀攻撃」として斬り込んだため、政府軍は多くの死傷者を出しました。

日本陸軍の後方支援をしていた警視隊には、旧会津藩士など旧幕府出身者が多かったため、剣術に秀でた約110名で薩軍の抜刀攻撃に対応もしました。

この政府軍の抜刀隊(ばっとうたい)の活躍もあり薩軍の守備を破って横平山(那智山)を占領し、田原坂の突破口を開いています。

薩軍の副司令格であった一番大隊指揮長・篠原国幹は最初から覚悟を決めていたようで吉次峠付近にて戦死しました。

下記の谷村計介戦死の碑ですが、田原坂・二の坂に碑が建っています。

この谷村計介は、熊本鎮台で籠城する政府軍側の人物で、糧食不足に苦しみ熊本城救援要請の為、高瀬の政府軍陣営を目指しました。
しかし、警戒していた熊本・佐々隊の安岡義虎に捕まり尋問を受けますが、隙をみて逃走し、政府軍主力に熊本城の状況を報告しています。
使命を果たした谷村計介でしたが、田原坂で苦戦する友軍を見ていれなかったようで、自ら先頭で薩軍と戦い25歳で戦死しました。

政府軍の物量と兵力には叶わず、西郷隆盛ら薩軍は兵力が不足して田原坂から敗走します。
その10日後には、半高山・吉次峠・三ノ岳も政府軍が落としています。

現在、田原坂の頂上付近は、田原坂公園として整備されています。

下記は美少年兵士の像です。

西南戦争の展示も豊富な田原坂資料館もありますが、資料館の近くには銃撃の跡が痛々しい「弾痕の家」が復元されています。

もともとは田原坂の頂上にあったようです。

下記の写真は西南の役での戦没者慰霊之碑となります。
西南戦争で戦死した数は、官軍6923名、薩軍7186名、殉難者29名となります。

下記は田原坂で戦死した政府軍兵士の墓となる、田原坂近くの「七本柿木台場官軍墓地」です。

薩軍の戦死者を埋葬した「七本柿木台場薩軍墓地」も離れた所にあります。

これら田原坂や半高山、吉次峠などの観光スポットは下記の当方オリジナルGoogleマップの「熊本」の欄にまとめてあります。
位置関係の確認や駐車場や行き方・アクセスのご参考になさって頂けますと幸いです。

オリジナルGoogleマップ(熊本の欄をご確認願います)

熊本隊の建策を入れて熊本城を水攻めしていた薩軍も、田原坂を突破され、黒田清隆中将の艦砲射撃、そして、山川浩中佐の熊本入城を許す結果となります。
そのため、桐野利秋・村田新八・池上四郎らは4月14日に熊本城の包囲を解いて、二本木にあった本営(下記写真)を木山(益城町)に移して、全軍撤退させ、約8000にて新たな防衛線を築きました。

これに対する政府軍は約35000にて木山を包囲するような作戦を取ります。
関ヶ原の戦い以降、最大の「野戦」となりましたが、この城東会戦は、僅か8時間の戦闘で決着がつき、薩軍は矢部浜町(山都町)での軍議を経て後退開始し、4月28日、人吉城に本営を設置したのです。

以上、田原坂を中心にご紹介してみました。

今回は行く事での2016年熊本地震の復興支援にもなればと熊本を訪問させて頂きました。
本当は益城町の薩軍本営跡も写真に収めたかったのですが、まだ益城町では瓦礫が目立ちましたので、遠慮して木山城跡だけ撮影させて頂いた事を、記載させて頂きます。

熊本や益城町など被災された皆様の一日も早い復興をお祈りさせて頂く次第です。

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