葛飾北斎の娘「お栄」~夫の絵がヘタなので笑ったら離縁された?


スポンサーリンク
スポンサーリンク

宮崎あおいさん主演のNHK特集ドラマ「眩」(くらら)~北斎の娘~(2017年)の主人公でもある、葛飾北斎(かつしか-ほくさい)の娘・お栄(おえい)に関して調べてみました。

葛飾北斎は、江戸時代中期の浮世絵師で、現在では世界的にも有名ですが、若いころはなかなか絵も売れず、貧乏だったと言います。
そんな中に生まれたのが葛飾お栄と言う事になりますが、3女(3娘)であり、またの名を阿栄、應栄、栄女(えいじょ)とも呼ばれ、画号(号)は応為(おうい)となります。
父・北斎には男子が2名と娘が3名(または4名)いたとされますが、お栄の生没年は不明ですが、1801年頃の生まれと推定されています。
お栄は「アゴ」が四角く出ていたとされ、普段から北斎はアゴと呼んでいたと伝わります。

スポンサーリンク


貧しい中、父の門人(弟子)らと、父が描いた絵の細かい部分の仕上げを行っていたようですが、お栄は、酒好きであったとも伝わります。
成長したお栄は、3代目・堤等琳の門人である絵師・南沢等明の妻になりました。
しかし、父譲りの破天荒な性格から、夫・南沢等明が描いたヘタな絵を鼻で笑ったため、離縁されたと言います。

ただし、門人らと絵を描く姿を見て育ったのと、父の才能を受け継いでいたようで、画才はあり、1810年頃(10歳頃?)には単独で挿絵などを書いていたようです。
特に、女性の浮世絵師で、葛飾北斎に似た画風の美人肉筆浮世絵を書いた、葛飾辰女(かつしか- たつじょ)と言う女性は、手や指、頭髪などの描写が一致することから、お栄だと比定されています。
現存する作品は10点ほどと少ないですが、北斎も「美人画では、お栄にかなわない」と言わせたほどの腕だったようで、江戸時代に描かれたとは思えないものばかりです。
また、父が生涯93回引っ越した間に、書いてきた絵の彩色も手伝っていたとされており、富嶽三十六景も助手をしていたひとつと考えられています。

号の応為(おうい)は、父・北斎のことを、いつも「おーい」と呼んでいたから、応為になったとも言われています。

葛飾北斎が晩年に信州の小布施を訪れた際にもお栄は同行していたと言います。
なお、お栄の晩年は尼となったようで、1856年頃には、加賀・前田家に招かれており、そのまま金沢にて死去したともされます。
ただ、諸説あり、67歳のときに家出して消息不明になったともあります。

眩(くらら)の原作者は、直木賞作家の朝井まかてさんです。



現在、日本でお栄の作品が見られるのは、下記の美術館となります。

吉原格子先図(よしわら-こうしさきのず)~浮世絵太田記念美術館(東京都渋谷区)

月下砧打美人図(げっか-きぬたうち びじんず)~東京国立博物館

春夜美人図(しゅんや-びじんず)メナード美術館(愛知県小牧市)

貸し出しや修復などで展示していない場合も考えられますので、訪問時にはご確認願います。


北斎娘・応為栄女集

上記のようにご自宅にて画集でご覧頂くこともできます。

江戸東京博物館~東京の江戸時代や明治を楽しめる屋内テーマパーク
東京国立博物館のススメ 武将関連 国宝も多数

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

スポンサーリンク


関連記事

Loading Facebook Comments ...

メールでお知らせ

メールアドレスを記入して購読すれば、新規記事追加をメールで受信できます。

ページ上部へ戻る