過去の記事一覧
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幕末の長州藩士・吉田松陰は、黒船密航の罪で野山獄への投獄、のち自宅謹慎となり「松下村塾」を開き若者と共に学んでいたが、1858年に、老中・間部詮勝を暗殺するため、長州藩に武器の提供を求めた事から、驚いた藩は吉田松陰の動…
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成瀬仁蔵(なるせじんぞう)は、吉敷毛利家の武士・成瀬小左衛門の長男として1858年8月2日に周防国吉敷郡吉敷村(山口県山口市吉敷大形)で生まれた。
父は成瀬小左衛門は長州藩毛利家の一門である吉敷毛利家に仕えた下級武…
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小田村篤太郎(楫取希家、小田村希家)
小田村伊之助(楫取素彦)と、杉寿の間に生まれた長男が小田村篤太郎(楫取希家、小田村希家)である。
幕末に奔走した小田村伊之助が命を狙われるのを危惧した長州藩は、名を楫取素…
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陸奥亮子は旗本・金田蔀の長女として、1856年11月に江戸で生まれた。
母は妾だったようで、明治の初めに東京・新橋柏屋に奉公に出て、芸者の修行をしながら下働きを3年、12歳で半玉、そして17歳で芸妓となると、小鈴(小兼…
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陸奥宗光(むつむねみつ、伊達小次郎)は、紀州藩士・伊達宗広の6男として、1844年7月7日に生まれた。
母は政子(渥美氏の娘)。
この伊達家は500石の大身で、父は国学者・歴史家として知られた為、陸奥宗光も尊王攘夷に…
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お登勢(おとせ)は、大津で旅館業・大本重兵衛の次女として1829年頃に生まれた。
※米問屋の娘ともあるが、2013年に大津・丸屋町で「升屋」と言う宿を経営した重助の次女で、兄弟が4人いたことも判明している。
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山内容堂(やまうちようどう)は、土佐藩連枝の山内南家当主・山内豊著(土佐藩12代藩主・山内豊資の弟)の長男として、1827年10月9日に生まれた。
母は側室の瀬代(平石氏の娘)。
山内南家は分家で1500石と、序…
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杉千代(すぎちよ)は、長州藩士・杉百合之助(26石)の長女として、1832年に生まれた。
母は、児玉太兵衛の養女・滝(杉滝)。
兄に杉梅太郎、吉田寅次郎がいる。
貧しい杉家を幼い頃から、家事手伝い・内職…
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江藤新平(えとう-しんぺい)は佐賀藩下級藩士・江藤胤光と妻・浅子の長男として、1834年に佐賀郡八戸…
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大久保一蔵/大久保利通について、できる限り詳しくご紹介したい。
大久保利通(おおくぼとしみち)は、…
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