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杉千代(すぎちよ)は、長州藩士・杉百合之助(26石)の長女として、1832年に生まれた。
母は、児玉太兵衛の養女・滝(杉滝)。
兄に杉梅太郎、吉田寅次郎がいる。
貧しい杉家を幼い頃から、家事手伝い・内職、そして妹・杉寿や杉文らの世話をした。
吉田松陰からは3歳年下で、杉文からは11歳年上である。
1843年、千代が12歳のとき父・杉百合之助は、百人中間頭兼盗賊改方(ひゃくにんちゅうげんがしらけんとうぞくあらためかた)となると、役目のため萩城下で暮らすことになった。
この時、母・杉滝は、幼いない子供ら家族の世話で家を離れられず、杉千代が父の身の回りの世話をするため、実家を離れ城下で暮らしたと言う。
その後、16歳の時に、親戚でもあつた長州藩士・児玉祐之(こだますけゆき)に嫁いだ。
のちに名を児玉芳子と改名している。
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杉千代が24歳のときには、兄・吉田松陰が野山獄に投獄され、長兄・杉梅太郎らと共に、差し入れをしたりしている。
この時、吉田松陰は千代にお礼の手紙を送ったが、その手紙には、先祖を大切にすること、家族を大切にすること、母親として子供たちをしっかり教育することなど、武家の嫁としての教訓が書かれていたと言う。
杉千代と児玉祐之は2男3女に恵まれ、次男・児玉庫三(くらぞう)が、吉田松陰の亡きあと、吉田家を継いでいる。
1876年、叔父の玉木文之進が切腹した際には、先祖の墓前で杉文之進を介錯したのが杉千代であった。
杉千代は吉田松陰から送られた手紙を大切に保管していたため、明治維新後に、吉田松陰の人間性を知ることができ、晩年はよく雑誌などの所在に応じ、吉田松陰の事を語った。
1924年、93歳の大往生であった。
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