タグ:幕末

  • 馬関とは

     馬関とは、山日県下関のことで、下関の古い名称である。  赤間関(あかまがせき)を赤馬岡とも書いたことから馬関と称された。  文久3年(1863年)長州藩は覇夷を実行するため、他藩にさきがけて下関海峡(馬…
  • 山根文季  コロリで命を落とした長州藩の名眼科医

     長州藩医(眼科医)であった山根文季は、矢原村で眼科医として名声高い重宗良策の次男である。名は山根正直とも。  子の小野為八(おのためはち)は幕末の攘夷運動に身を捧げている。  山根文季はは矢原の蔵光で育ち、げん…
  • 高杉雅 (井上雅、高杉雅子、マサ) 長州藩士の娘で高杉晋作の妻

     高杉雅は、高杉晋作の妻。  長州藩士・井上平右衛門の次女が、井上雅(まさ)で、1845年生まれ。  高杉家は200石だったが、井上平右衛門の家柄は500石で、山口町奉行を務めていたと言う。  萩城…
  • 小野為八 (小野正朝) 奇兵隊の砲術指揮官で写真術にも通じた異才

     小野為八(おのためはち)は、長州藩医(眼科医)・山根文季の長男として香川津にて、1829年に生まれた。小野正朝とも。  幼少より藩医・小野春庵のもとで教育を受けるとその後、藩医・小野家の養子となった。  弟に山…
  • 玉木彦助 (玉木彦介、玉木正弘)  玉木文之進の優秀な長男

     玉木彦助は、長州藩士・玉木文之進の長男として、1841年5月17日に生まれた。名は正弘。字(あざな)は毅甫。  吉田寅次郎の叔父でもあった父・玉木文之進は大組士40石取りの中堅武士で、1842年に松下村塾を創…
  • 月性 (げっしょう) 妙円寺の住職で尊王攘夷派の僧

    月性(げっしょう)は周防国遠崎(現柳井市遠崎)の妙円寺にて、1817年9月27日に生まれた。 字を知円(ちえん)といい、初め烟渓(えんけい)、後に清狂(せいきょう)と号している。 母・尾上(おのえ)は、岩国市…
  • 毛利元徳 (毛利広封、毛利定広) 長州藩最後の藩主

     毛利元徳は、徳山藩第8代藩主・毛利広鎮の10男として、1839年9月22日に生まれた。初名は広封、定広。  母は側室である三宅才助の娘・多喜勢(滝瀬)。  1852年2月27日、先代の藩主・毛利慶親(のちの…
  • 脱藩とは?

    脱藩(脱藩)とは、藩の許しなく、勝手な行動を取ると言う事です。 外国に密航するのは脱藩とは呼びませんので、密出国ともちょっと異なります。 現代風に解釈すると、会社の許可なく、どこかに行ってしまい、仕事を放棄したと言う…

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