タグ:幕末用語

  • 脱藩とは?

    脱藩(脱藩)とは、藩の許しなく、勝手な行動を取ると言う事です。 外国に密航するのは脱藩とは呼びませんので、密出国ともちょっと異なります。 現代風に解釈すると、会社の許可なく、どこかに行ってしまい、仕事を放棄したと言う…
  • 尊王攘夷と公武合体とは?幕末の政治運動を分かりやすくお伝えします

    初めに尊王攘夷とはなんぞや?と言うところから解説致します。 尊王攘夷とは 尊王攘夷(そんのうじょうい)の「尊王」とは、王=すなわち「天皇」を敬い、「攘夷」(じょうい)は、外敵(外国の侵略)を撃退しようとする思…
  • 明倫館とは?  長州藩の藩校

     明倫館は1718年(享保3年)、長州藩第6代藩主・毛利吉元が、萩城の三の丸追廻し筋に創建した長州藩(萩藩)の藩校で、敷地面積は940坪。  長州藩の明日に担う有能な人材を育成することを目的として、毛利家家臣の子弟…
  • 薩長同盟 (薩長盟約、薩長連合) とは? 約束内容は?

    薩長同盟(さっちょうどうめい)は、江戸時代の幕末である1866年1月21日に、京都の薩摩藩士・小松帯刀邸にて締結された、薩摩藩と長州藩の政治的・軍事的密約同盟。 薩摩藩と長州藩は、幕末の京都にて大きな影響力を持った…
  • 萩城

    長州藩の勢力争い 改革派 (正義派・尊攘派・急進派・倒幕派)と保守派 (俗論派・重商派)

     幕末の長州藩では藩論が二分し、正義党と俗論党が内部抗争を繰り返していた。  そんな派閥のメンバーリストと、各派閥の他の呼び名と共に、まとめておきたい。 改革派(正義派・尊王尊攘派・急進派・倒幕派・勤王派) …
  • 松下村塾 (しょうかそんじゅく) とは? 松下村塾の歴史と幕末の志士

     松下村塾は、幕末の長州藩・萩で、1842年、長州藩士・玉木文之進が松本村の自宅で開いた私塾が始まりで、塾の名を松下村塾と名付けた。  この玉木文之進は、吉田寅次郎の叔父で、幼い頃の吉田寅次郎も近所で通っていた。  …
  • 無給通士 (無給通組)とは? その収入の実態

     長州藩 毛利本家 36万9411石  長府藩 長府毛利家 8万3011石  徳山藩 徳山毛利家 4万0010石  長州藩の無給通組(無給通士、無給組士)とは、家臣団の中でも、下士の上等で、給地を支給され…
  • 士規七則とは? 吉田松陰が贈った言葉

     士規七則は、吉田松陰が従弟の玉木彦助に送った言葉だ。  逸材中の逸材として玉木彦助を松下村塾の後継者と考えていたとされる。  → 玉木彦助に関してはこちら 士規七則の現代語訳  人として生まれた…

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    高島秋帆(たかしま-しゅうはん)は、江戸時代後期の1789年に生まれた砲術家で、父は長崎の町年寄であ…
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