山縣大華 (山県大華) 長州藩の明倫館学頭


スポンサーリンク
スポンサーリンク

 1781年生まれの山縣大華(山県大華)は、正統の朱子学者で、長州藩の藩校・明倫館の学長(学頭)をしていた。

 20歳前後の吉田松陰が明倫館の先生となると、当時80代の山縣大華の朱子学的見解と意見が分かれ、論争を広げたことで知られる。

 具体的には、吉田松蔭が『古事記』『日本書紀』を持ち出して日本の国体(独自な国のあり方)を強調すると、山縣大華は「そんな日本中心の考えではダメだ。もっと国際的な視野(朱子学的な中華世界に基づく中国中心史観)に立った考え方をするべきだ」と述べた。

 しかし、吉田松蔭が外国から日本を守ると言う重要性を説くと、山縣大華は「日本側にとって、西洋に対抗できる手段がない以上、仕方があるまい」と返したと言う。

 養子に、長州藩士・安田直温の三男である安田辰之助 (半蔵) を迎えている。山県半蔵 (山縣半蔵) は、吉田松陰の松下村塾1期生。

 1866年、山縣大華 (山県大華)は没した。

 大河ドラマ「花燃ゆ」のキャスト一覧からもどうぞ

スポンサーリンク


新着情報

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

スポンサーリンク


関連記事

Loading Facebook Comments ...

メールでお知らせ

メールアドレスを記入して購読すれば、新規記事追加をメールで受信できます。

ページ上部へ戻る