中川宇右衛門~長州藩俗論派の幹部


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 中川宇右衛門(なかがわうえもん)は、1805年生まれの長州藩士。名は以徳。通称は登人。

 用所役を務めると蔵元両人役、遠近方、国事用掛、矢倉頭人などを歴任。

 椋梨藤太と共に保守派(俗論派)の中心人物であったが、1863年に長井雅楽が切腹すると椋梨藤太、中川宇右衛門らは失脚して隠居。
 1864年、禁門の変後、再び長州藩の政権を取り戻すが、第1次長州征伐後、粛清に危機感を募らせた高杉晋作伊藤博文らが功山寺挙兵。
 1865年(元治2年・慶応元年)1月、大田・絵堂の戦いで正義派が勝利すると捕えられた。

 5月、小倉五右衛門・岡本吉之進は自決。椋梨藤太は断首。中川宇右衛門は切腹となった。61歳。

 大河ドラマ「花燃ゆ」のキャスト一覧からもどうぞ

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