スポンサーリンク
脱藩(脱藩)とは、藩の許しなく、勝手な行動を取ると言う事です。
外国に密航するのは脱藩とは呼びませんので、密出国ともちょっと異なります。
現代風に解釈すると、会社の許可なく、どこかに行ってしまい、仕事を放棄したと言う事でしょうか?
江戸時代の藩士は、当然ながら通常は藩内で仕事をします。
参勤交代などで江戸などに出向く事もありましたが、それは当然ながら、藩が職務として命じた上での事です。
藩の職務命令を得た上で、他藩に出向いたり、研修に行くのであれば通行手形が発行されて公式に藩から出る事ができ、手当も支給されました。
しかし、願い出ても藩から許可が降りなかったり、藩に相談なく勝手に藩の仕事を放棄して、無断でどこかに行く為に藩から脱すると「脱藩行為」となり、厳しく罰せられました。
もちろん、国境で捕まって脱藩できなかったと言う事もありました。
スポンサーリンク
本人が捕らえられれば死刑になる事もありましたし、例え捕まらなくても多くの場合「仕えるべき主君を見限った」として、実家は家名断絶となりました。
土佐藩は坂本龍馬が脱藩した時、追っ手を京都まで送っていますしね。
しかし、幕末の長州藩は藩主の意向で、有能な人材を大切にした為、吉田松陰の処罰なども比較的あまいです。
よって、幕末の志士には脱藩した者がおりますが、情報収集や他藩同志との交流など大きな志の為に、武士が藩籍を抜けて浪人(無収入)になり、家にも迷惑を掛けることを覚悟して、皆、脱藩したのです。
脱藩した武士は、脱藩浪人と呼ばれることもありました。
なお、脱藩した大名・林忠崇もいます。
スポンサーリンク
コメント
-
2016年 12月 24日トラックバック:土佐おもてなし勤皇党の思い出
この記事へのコメントはありません。