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杉滝は、毛利志摩(毛利家一門の阿川毛利家)の家臣・村田右中の三女で、1807年生まれ。
20歳のとき長州藩大組(毛利家直属の上級家臣)・児玉太兵衛の養女となり、杉百合之助(杉常道)と結婚した。
穏やかで優しい性格だったとされ「せわぁない」といつも家族を「大丈夫」と安心させていたと言う。
当時の杉家は貧しかったようだが、杉家に嫁いだ滝は「今日から毎日お風呂に入る」と宣言したと伝わる。
父・杉 百合之介は、初めは身分不相応だと言って毎日風呂を沸かすことに反対したようだが、滝は「貧しさのあまりに心まで貧しくなってしまってはどうしようもない。温かい湯につかることで、心まで温まり、翌日も頑張る意欲が生まれるはずだ」として、譲らなかったと言う。
このように温容・親切であり、勤倹にも努め、馬を使って農耕にも従事したようだ。
その後、長男・梅太郎(杉民治)、次男・虎之助(吉田松陰)、長女・千代(芳子)、次女・寿(寿子)、三女・艶、四女・文(文子)、三男・敏三郎の三男四女を設けている。
貧しいながらも家計をやりくりし、吉田寅次郎の活動を支えた。
吉田松陰が22歳のとき10年間の諸国遊歴の旅に出たが、この時、滝は巨額の旅費を渡して驚かせたと言う。貧乏ながらもコツコツと貯金していたのだ。
そしてこの遊学により、日本の歴史を大きく左右する吉田松陰と言う人物ができたと言っても過言ではないだろう。
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吉田松陰が牢獄に入った際にも、滝は温かい着物や食べ物、本や筆記用具を牢獄へ差し入れ続けた。
安政の大獄で吉田松陰が江戸に送られる際に、1日だけ杉家に滞在するのが許された際にも、風呂を沸かして無事の帰国を願った。
なお、吉田松陰の祖母の妹が子供2人を抱えて夫に先立たれ、脳溢血で半身不随になった時、その看護と子供の養育を引き受けてもいる。
杉滝は、のち浄土真宗に帰依し、晩年に皇室より恩賞を受けるも、明治23年(1890年)に84歳で没した。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」では、檀ふみさんが演じている。
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2015年 10月 03日
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