カテゴリー:会津藩

  • 山川健次郎  東京帝国大学の初代総長 会津藩魂

     山川健次郎(やまかわけんじろう)は嘉永7年(1854年)生まれ-昭和6年(1931年)没。  日本国内に設置された7つの帝国大学のうち東京帝国大学、京都帝国大学総長、九州帝国大学の初代総長に任ぜれている。  さ…
  • 佐川官兵衛 会津藩の「鬼の官兵衛」「鬼佐川」

    佐川官兵衛は1831年10月10日、会津藩士・物頭の佐川直道(佐川幸右衛門直道)(300石)の嫡男として生まれた。 物頭は足軽20人、小頭1人の上に立つ者で、合戦の際には先頭で戦う役職。 佐川家は、もともと高遠の…
  • 秋月悌二郎 ~幕末の会津藩における中心人物として貢献

     秋月悌二朗(秋月悌次郎、あきづきていじろう)は、幕末の会津藩の藩士で、1824年7月2日、丸山四郎右衛門(丸山胤道(かずみち)150石の次男として会津若松城下に生まれた。  会津藩校・日新館の成績は抜群で、飛び級で通…
  • 山本八重(新島八重)~幕末のジャンヌ・ダルク

    山本八重は、会津藩士・山本権八・佐久(さく)夫妻の子として1845年12月1日に生まれたが、戊辰戦争の渦に巻き込まれることになった。兄は山本覚馬。 父・山本権八は、会津藩砲術指南役で元の名は永岡繁之助。会津藩の砲術家・…
  • 小田時栄(おだときえ) 山本覚馬の世話をした女性

     京都守護職となった松平容保の会津藩が、京都を警護した際に、会津藩士・山本覚馬も京に上った。  しかし、山本覚馬は、まもなく失明状態となり、失明状態の山本覚馬は、公用の職から身を引いて、清浄華院において静養していたよう…
  • 山本うら(樋口うら) ~ 山本八重の兄・山本覚馬の妻

    樋口うらは、会津藩勘定方・樋口家の娘であったと考えられるが、嫁ぎ先の山本家との関係、また、樋口家が、どの会津藩家臣の樋口氏に当たるのか、詳細は不明である。  1857年、山本覚馬と樋口うらが結婚。山本覚馬は山本…
  • 山本覚馬~会津藩の砲術指南役から京都府議会の初代議長へ

    山本覚馬(やまもとかくま)は会津藩・砲術指南役・山本権八の長男として鶴ヶ城近くの武家屋敷にて1828年1月11日誕生。母は佐久。 山本家の遠祖は甲州流軍学、武田信玄の軍師でも知られる山本勘助が祖であると言われる。 …
  • 川崎尚之助~山本八重の最初の夫も苦労を重ねて失意のうちに・・・

    大河ドラマ「八重の桜」でも注目を浴びた、山本八重の最初の夫とされる川崎尚之助は、会津に来る前までは川崎正之助と言う漢字の名前だった。 川崎正之助(かわさきしょうのすけ)は出石藩(兵庫県)の藩医の子であるとされるが、町医…

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    藤田小四郎(ふじた-こしろう)は、幕末の水戸藩士・藤田東湖の4男として1842年に生まれました。 …
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