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小島資料館
試衛館時代の近藤勇・土方歳三・沖田総司らが、度々出稽古に訪れていた小野路(東京都町田市)の名主が、この小島鹿之助さんでした。
収入が乏しかった試衛館にとって、出稽古は貴重な収入源でもありました。
その小島家の屋敷の1階部分が「小島資料館」となっており、ご厚意によって個人運営で公開されており、新選組にまつわる資料を中心に展示されています。
入館料は600円(小学生300円)です。公式HP。
小生が訪問させて頂きました際には、約15名のお客様となっていました。
館長さんのご説明によると、小島鹿之助さんは土方歳三の姉が嫁いだ日野の佐藤彦五郎さんと義兄弟の契りを結んだとの事で、小島家は土方歳三とも縁が深かったとの事。
そして、天然理心流の3代目・近藤周助は近くの小山村の出身でもあったことから、試衛館に出稽古を依頼したようです。
上記は撮影OKの資料館待合室。
同じ小野路の橋本家は、土方家と親戚だったと言います。
ドクロ(髑髏)の稽古着は、近藤勇の妻・松井つねが、刺繍をほどこしたものとされています。
常に死ぬ事を意識して、本気で修行をすると言う覚悟にて稽古したと伝わります。
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なお、そもそも、名主であった小島鹿之助さんが「剣術」を学んだ理由ですが、身を守る必要があったとの事です。
それは、関東取締出役、すなわち近隣34ヶ村の治安維持(悪人などの取締)を行ったため、剣術を習ったそうです。
このようなお話は、ほんと行ってご説明を聞かないと、一生知らずにいたかも知れませんので、本当に訪問してよかったと思う次第です。
館内は待合室以外、撮影禁止との事でしたのでね絵葉書を購入させて頂きまして、その一部を掲載のため拝借させて頂いておりますこと、記載しておきます。
なお、いつでも見学できると言う事では無く、日野にある「土方歳三資料館」同様に、毎月第1・3日曜日のみの開館となっています。
時間は、13時~17時まで。なお、冬季の1月と2月は完全にお休みです。
上記は、出稽古を行った庭です。
幕末に近藤勇や土方歳三らはこの庭で剣術を教えました。
小野路は、戦国よりもっと古い時代、恐らくはヤマトタケルの頃からある街道に栄えた集落です。
この辺りのいにしえの街道は、何度か道が変更されましたが、鎌倉時代には「鎌倉街道」となりました。
お話ですと、裏山の上?に幅1.8mの街道がいまでも残っているそうです。
となると、今の道はあとからできたのかな?
小野神社がある小野路の集落は、ちょっと前までは1.5車線と細くて真っ直ぐな道沿いに塀や門を構えた屋敷が何件も並ぶような、昔からの面影が残る、雰囲気が大変良い場所だったのですが、最近は道路を拡張した関係で、景観もだいぶ変わってしまいました。
幕末には6軒もの旅籠があったそうです。上記は新しくできた里山交流館。
ちなみに、のちに武田信玄の家臣に列する、武田最強の騎馬軍団と言われた小山田信茂の「小山田家」の発祥地は、すぐ隣の小山田城(大泉寺)にあります。
・大泉寺紹介サイトへのリンク
ついでに小野神社も撮影して参りました。
さて、小島資料館への行き方・アクセスですが、電車の場合には、多摩センター駅からだと、バスで約15分くらいです。
そして、小路神社前バス停で下車すると、徒歩1分といったところです。
もし、土方歳三資料館とセットで訪れる場合には、小生の車による走行実測で25分くらいの距離となります。
ただし、もともと小高い丘と丘に挟まれた、細長い土地ですので、駐車場は狭く5台分くらいです。
ただ、その駐車場への入口も狭く、わかりにくいので、一応下記に、駐車場に左折する箇所の写真つけておきますが、本当にわかりにくいです。
わからなかった場合には、事故防止の為にも、小野神社前の信号にある「タイムズ」に止めた方が無難です。
交通量も比較的多い交差点付近ですし、ノロノロと探しながら走行するは大変危険ですので、安全運転でお出かけ願います。
下記の地図ポイント地点が、資料館の駐車場入口となりますので、ご参照賜りますと幸いです。
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コメント
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