大久保次右衛門とは~大久保利通の父である大久保利世は歌手の植村花菜さんのご先祖さま?

大久保利世(大久保次右衛門)



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大久保次右衛門と言う名は大久保利世の通称となりますが、その大久保利通の父である大久保利世に関して、できる限り詳しく記載したいと存じます。

大久保利世(おおくぼ-としよ)(通称:大久保次右衛門)は、1794年11月19日、薩摩藩士(下士)で大久保家6代目当主・大久保利敬の3男として、薩摩国鹿児島城下高麗町で生まれました。
家格は小姓与で、姓は藤原氏。


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兄に大久保利建がいましたが、大島代官附役として、奄美大島の伊津部湊に赴任してまもない1821年8月4日に死去してしまいます。
その兄には男子がいなかったのと、次兄の大久保治良介も早く死去していたこともあり、末弟であった大久保利世(大久保次右衛門)が、兄の養子となって家督を継承しました。

そして、1827年5月、大久保利世は沖永良部島代官付役を命じられて、沖永良部島に赴任しています。
付役と言うのは、代官を補佐する役割と言う事です。
1829年4月17日、鹿児島に戻りますが、1837年4月26日、再び沖永良部島代官付役となっています。

大久保利世(大久保次右衛門)の妻は皆吉鳳徳の次女・皆吉福で、1830年8月19日には長男・大久保正助(大久保利通)が誕生しています。
1832年にはキチ(大久保キチ)、のち石原近昌と結婚して、石原きちとなる娘が生まれている他、1837年にはスマ(大久保スマ・山田有庸と結婚して山田すま)、1840年にはミネ(大久保ミネ・石原近義と結婚して石原みね)がいます。

「大久保利通伝」によると大久保次右衛門は、体格が良いと言う事ではなかったが、肥満体で貫禄があったとされ、母・福(ふく)は、長身で痩せていたとあります。
禅や陽明学に熱心であり、また無参禅師との親交も深かったようで、身分にこだわらず百姓・町人とも平等に接したようです。
学問においても大久保利通や西郷隆盛に影響をあたえたようで、西郷隆盛は後年に、青年時代に最も益を受けたのは、有馬一郎の徳行節義、大久保子老(大久保利世)の義気決断、関勇助の宏才多智とだ」と語っています。

沖永良部に赴任中の島妻の名は屋号「チカヒルヤ」の娘・筆(ふで)で、1830年にタケ(玉江常雪と結婚して、玉江たけ)、生没年不詳のマツ(土持政照と結婚して土持まつ)がおりますが、男子は大久保利通だけでした。
なお、玉江タケの子孫には歌手で「トイレの神様」にてNHK紅白歌合戦にも出場した植村花菜さんがいます。

さて、大久保利世(大久保次右衛門)の話に戻しますが、沖永良部から戻ると琉球館付役に就任したため、大久保家は琉球館内の屋敷に引っ越しました。
ただし、大久保利通には郷中教育を受けさせるため、加治屋町の屋敷にいた兄の未亡人・日置氏の娘のもとで、しばらく暮らさせたようです。

この頃、薩摩藩では、次の藩主の座を巡って、島津久光島津斉彬が対立していましたが、義を重んじていた大久保利世は島津斉彬派に関与しており、1849年、お由羅騒動(高崎崩れ)に連座します。
そして、1850年、父・大久保利世は喜界島への遠島処分となりました。

薩摩藩で遠島になった者の中には、罪人となったのを恥を忍んで切腹した者もいますが、大久保利世(大久保次右衛門)は「今死んでしまえば、この事件の真相を語れる者がいなくなる」と耐え忍びました。

長男・大久保利通も謹慎処分となって失職し、大久保家は無収入の貧困生活となった為、妻の福が内職で家計を助けたとされています。

島津斉彬が藩主になると1853年5月、大久保利通の謹慎が解かれ、大久保利世も1854年7月に許されると翌1855年2月に鹿児島に戻りました。

隠居後、冠雪とも称し、1863年5月19日、大久保利世(大久保次右衛門)は死去。享年70。
戒名は熹直軒子老冠雪居士。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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