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貞宮多喜子内親王(さだのみやたきこないしんのう)は、1897年(明治30年)9月24日に生まれた明治天皇の第10皇女。
父は明治天皇で、母は典侍園祥子(伯爵・園基祥の次女)。
楫取素彦が明治30年、貞宮多喜子内親王の御養育主任を命ぜらると、楫取美和子も貞宮御付となった。
しかし、内親王は僅か3歳である1899年(明治32年)1月11日に夭折。
楫取素彦は、御遺物を譲り受け、明治32年、防府天満宮境内に下賜された遺品を納める貞宮遥拝所を建立した。
今でも毎年、ご命日にあたる1月11日に遥拝式が行われている。
明治天皇の側室
明治天皇の皇后は一条美子(昭憲皇太后)だが、皇后には懐妊の兆候がなく、このままでは皇統断絶に繋がる恐れがあったため、明治天皇は7人の側室を置いた。
そのなかの1人が園祥子だが、明治天皇は最も寵愛したと言われ、2男6女を儲けた。
しかし、貞宮も含めて4人が夭折しており、2人の間の子としては、この貞宮が最後となった。
ちなみに、典侍園祥子が産んだ第6皇女・常宮昌子内親王は、皇族の竹田宮恒久の王妃となり、その系統に、歌手・華原朋美への求愛で話題となった、竹田恒泰氏がいる。
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