タグ:会津戦争

  • 日向ユキ (ひなた ゆき) ~山本八重の幼なじみ

    日向ユキは、1851年、会津藩士・日向佐衛門(日向左衛門)と日向ちか夫妻の2女として会津若松城下で生まれた。 父・日向佐衛門(日向左衛門)は会津藩の上士(上級藩士)で御旗奉行400石。 実母の日向ちかは、飯沼…
  • 中野竹子~会津戦争で討死にした薙刀の名手で美女

    中野竹子は、会津藩江戸詰勘定役・中野平内の長女として江戸城・和田倉門内にあった会津藩邸で生まれ、江戸で育った。 誕生年は1847年3月が有力。1850年とも。 中野竹子は幼い頃から聡明で、5歳で百…
  • 山川大蔵(山川浩)の解説~会津藩士から男爵へ・山川トセも

    山川大蔵(山川浩)とは 幕末の1845年11月6日、山川大蔵(やまかわおおくら)は、会津藩国家老・山川重固(家禄1000石)、母・会津藩家臣・西郷近登之の娘・山川えん(山川艶)の間に、会津若松城下の本二之丁で生まれ…
  • 母成峠の戦いにおける会津藩の情報不足

    山本八重が登場する八重の桜でも知られる「母成峠」。 会津藩としては新政府軍は、恐らく「中山峠」を超えると、当時、予測していたようだが、新政府軍が進軍したコースは、母成峠であった。 母成峠は、険しい…
  • 黒河内伝五郎 会津藩 幕末最強と言われる剣客

     大河ドラマ「八重の桜」で、中野竹子や山本八重ら女性の薙刀指導の場面や、日向ユキが会津城下を逃げ惑う際に、単身援護するシーンなどで度々登場する「黒河内先生」について、触れておきたい。  この黒河内伝五郎は1803年…
  • 田中土佐 新政府軍を迎え撃ち、自刃した会津藩家老

     田中土佐(田中玄清、たなかはるきよ)は、1820年8月1日、会津藩家老・田中玄良の長男として生まれた。  田中家は伊勢・北畠氏の一門である田丸氏が出自で、甲斐で武田信玄に仕えたのち、保科家の家…
  • 梶原平馬 会津藩の外交を担当した有能な家臣

    梶原平馬(かじわらへいま)は、会津藩の名門・内藤家の内藤信順(内藤介右衛門信順)の次男として内藤悌彦(内藤平馬)として1842年に生まれた。 平馬の実家になる内藤家は、戦国時代には武田信玄の重臣・内藤昌豊の流れをく…
  • 神保修理と神保雪子 (会津藩)

    神保修理は、1834年、会津藩家老・神保内蔵助(神保内蔵助利孝)の長男として生まれた。母の名はトシ。 神保家は1000石の上級藩士であり、神保内蔵助は200石を加増され1200石と会津藩の名門であった。 幼いころ…

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