タグ:会津藩
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新選組、鬼の副長として恐れられ、後世までその名を轟かせる土方歳三。
江戸時代末期から幕末維新後において、京都における反幕府の勢力への取り締まり、そして幕府統治国家の治安統率を目的として組織された新選組という組織の副…
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永井尚志(ながい-なおゆき)は、幕末に活躍した江戸幕府の旗本です。
父は、、三河奥殿藩(岡崎市)の第5代藩主・松平乗尹で、母は側室となります。
永井尚志が生まれる前に、病弱だった父は隠居しており、既に家督は養子に譲っ…
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北海道の道東、目の前にはロシア領となっている国後島が見える野付半島に、会津藩士の墓があります。
幕末の動乱期、会津藩は松平容保が藩主となり、安政6年(1859年)になると、徳川幕府から北方警備のため標津(しべつ…
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松平容保とは
松平容保(まつだいらかたもり)は、天保6年12月29日(1836年2月15日)に、美濃の高須藩主・松平義建の6男として誕生した。
母:古森氏で会津松平家第8代藩主・松平容敬の養女。
その縁もあ…
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池田屋事件とは
幕末の1863年、八月十八日の政変にて、京を追われた長州藩は、久坂玄瑞・高杉晋作らが情報収集のため潜伏活動をします。
そして、長州藩・土佐藩・肥後藩ら尊王攘夷の志士は、御所に火を放ち、その混乱に乗…
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禁門の変とは
禁門の変(きんもんのへん)は、長州藩が京都での復権を目指して、会津藩の排除を挑んだ武力衝突で、1864年7月19日、京都御所付近で戦闘となった。
蛤御門が禁門の変の最大の激戦地になったことから、蛤御…
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12代・和泉守兼定(いずみのかみ-かねさだ)による土方歳三の愛刀は2尺3寸1分6厘。
会津の名刀匠である兼定は、会津御抱鍛冶であり、会津藩主・松平容保の上洛に従って、京都で刀を作っていた。
ただし、京に行っていた…
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土方歳三資料館
東京都日野市の国道20号の日野バイパス近く、多摩モノレールの「万願駅」からほど近いところに「土方歳三資料館」があります。
そうです。新選組の副長として京だけでなく、近藤勇の死後も、会津・函館と旧幕…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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