タグ:会津藩

  • 黒河内伝五郎 会津藩 幕末最強と言われる剣客

     大河ドラマ「八重の桜」で、中野竹子や山本八重ら女性の薙刀指導の場面や、日向ユキが会津城下を逃げ惑う際に、単身援護するシーンなどで度々登場する「黒河内先生」について、触れておきたい。  この黒河内伝五郎は1803年…
  • 田中土佐 新政府軍を迎え撃ち、自刃した会津藩家老

     田中土佐(田中玄清、たなかはるきよ)は、1820年8月1日、会津藩家老・田中玄良の長男として生まれた。  田中家は伊勢・北畠氏の一門である田丸氏が出自で、甲斐で武田信玄に仕えたのち、保科家の家…
  • 萱野権兵衛 会津藩家老・会津戦争の責任を取り切腹 

     幕末に会津藩の家老を務めた萱野権兵衛(萱野長修)。  萱野家はもともと伊予の加藤嘉明に仕えていた。  加藤嘉明が国替えで会津に移ると、それに従って萱野家も会津に移った。  しかし、加藤嘉明の子・加藤明成が江戸…
  • 梶原平馬 会津藩の外交を担当した有能な家臣

    梶原平馬(かじわらへいま)は、会津藩の名門・内藤家の内藤信順(内藤介右衛門信順)の次男として内藤悌彦(内藤平馬)として1842年に生まれた。 平馬の実家になる内藤家は、戦国時代には武田信玄の重臣・内藤昌豊の流れをく…
  • 神保修理と神保雪子 (会津藩)

    神保修理は、1834年、会津藩家老・神保内蔵助(神保内蔵助利孝)の長男として生まれた。母の名はトシ。 神保家は1000石の上級藩士であり、神保内蔵助は200石を加増され1200石と会津藩の名門であった。 幼いころ…
  • 土方歳三「詳細年表」新選組副長 近藤勇と共に正義を貫き最後は函館で

    新選組副長「土方歳三」の生涯の動向をできる限り詳しくご紹介したい。 1834年10月9日、近藤勇が多摩・上石原村(現在の東京都調布市野水)にて誕生。 1834年12月3日、伊東甲子太郎が、常陸国志筑藩(現在の茨城…

スポンサーリンク


新着記事

  1. 鈴木貫太郎
     今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
  2. 蔦屋重三郎
    蔦屋重三郎とは 蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
Twitterfollow

共有御礼申しあげます



スポンサーリンク
ページ上部へ戻る