タグ:会津藩
-
大河ドラマ「八重の桜」でも注目を浴びた、山本八重の最初の夫とされる川崎尚之助は、会津に来る前までは川崎正之助と言う漢字の名前だった。
川崎正之助(かわさきしょうのすけ)は出石藩(兵庫県)の藩医の子であるとされるが、町医…
-
照姫は、第9代上総飯野(現在の千葉県富津市)藩20000石の藩主・保科正丕(ほしなまさもと)の3女として1832年12月13日に、江戸藩邸にて生まれた。
正しい漢字は「熈」だが、自ら「照」と書いた姫。
上総飯…
-
高木時尾は幕末の会津藩大目付・高木小十郎の長女として1846年に生まれた。母の藤田克子は大変な美人であったらしい。
山本八重より年齢で1つ年下。山本家とは斜め裏の隣家であったことから山本八重とは親友であった。
…
-
日向ユキは、1851年、会津藩士・日向佐衛門(日向左衛門)と日向ちか夫妻の2女として会津若松城下で生まれた。
父・日向佐衛門(日向左衛門)は会津藩の上士(上級藩士)で御旗奉行400石。
実母の日向ちかは、飯沼…
-
中野竹子は、会津藩江戸詰勘定役・中野平内の長女として江戸城・和田倉門内にあった会津藩邸で生まれ、江戸で育った。
誕生年は1847年3月が有力。1850年とも。
中野竹子は幼い頃から聡明で、5歳で百…
-
山川大蔵(山川浩)とは
幕末の1845年11月6日、山川大蔵(やまかわおおくら)は、会津藩国家老・山川重固(家禄1000石)、母・会津藩家臣・西郷近登之の娘・山川えん(山川艶)の間に、会津若松城下の本二之丁で生まれ…
-
山川捨松(山川さき、山川咲子、大山捨松)は、1860年2月24日、会津藩の国家老・山川尚江重固(なおえしげかた)と、母は会津藩家臣・西郷近登之の娘・山川えん(山川艶)の娘として誕生した。
姉に山川二葉、兄に山川大蔵…
-
山本八重が登場する八重の桜でも知られる「母成峠」。
会津藩としては新政府軍は、恐らく「中山峠」を超えると、当時、予測していたようだが、新政府軍が進軍したコースは、母成峠であった。
母成峠は、険しい…
新着記事
-
今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
-
蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
ページ上部へ戻る
Copyright © 株式会社TOLEDO All rights reserved.