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尾高平九郎(渋沢平九郎)とは 渋沢栄一の見立て養子になった飯能合戦の勇士
尾高平九郎(おだか-へいくろう)は、武蔵国榛沢郡下手計村(埼玉県深谷市下手計)名主である尾高保孝(尾高藤五郎保孝)の末子として、幕末の弘化4年(1847年)に生まれました。 母は尾高やへ(渋沢元助の姉)で、兄に尾高新五… -
渋沢成一郎(渋沢喜作)とは 彰義隊・振武軍のリーダー
渋沢成一郎(渋沢喜作)とは 渋沢成一郎(しぶさわ-せいいちろう)は、武蔵国血洗島村(埼玉県深谷市)の豪農・渋沢文左衛門(渋沢文平)の長男として、幕末の1838年に生まれました。 幼名は渋沢喜作(しぶさわ-きさく)… -
天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)「於一」の解説 薩摩・島津家から徳川将軍の御代に
天璋院篤姫とは 天璋院篤姫(てんしょういん-あつひめ) 1836年2月5日(天保6年12月19日)~1883年(明治16年)11月20日 享年48歳。 下記は鹿児島城にある篤姫の像。 天璋院篤姫の実… -
永倉新八の解説 豪胆にして信念を曲げなかった新選組最強の剣士
永倉新八(ながくら-しんぱち)は、松前藩の江戸定府取次役・長倉勘次(150石)の次男として、1839年4月11日に、江戸の上屋敷にて生まれた。 兄は夭逝している。 8歳の頃には既に竹刀を握り、1846年、神道無念… -
佐藤彦五郎(詳細版) 幕末に新選組を支援した日野宿の名主
佐藤彦五郎(さとう-ひこごろう)は、多摩の日野本郷名主である下佐藤家・佐藤半次郎の嫡男として、1827年9月25日に生まれた。幼名は庫太(くらた)。 母の名は佐藤まさ。この母は、土方歳三の父・土方隼人の妹にあたる。 … -
伊東甲子太郎 新選組参謀になるも御陵衛士を結成し暗殺された逸材
よく新撰組の裏切り者扱いをされる「新撰組参謀及び文学師範」の伊東甲子太郎(いとう-かしたろう)。 容姿端麗であったうえに話が上手く、相当な人望があったといわれています。 32歳の若さでこの世を去りますが、1918年従… -
徳川慶喜(一橋慶喜)の解説 徳川家最後の征夷大将軍 その人柄と評価は?
徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の7男として、江戸・小石川の水戸藩邸にて1837年9月29日に生まれた。幼名は七郎麻呂(しちろうまろ)。 母は正室・吉子女王(有栖川宮織仁親王の娘)。 2018… -
阿部正弘の解説 福山藩主として江戸幕府の老中首座で人材登用の名君
阿部正弘とは 阿部正弘(あべまさひろ)は、1819年10月16日、福山藩第5代藩主・阿部正精の五男として江戸の西の丸屋敷で生まれた。幼名は正一・剛蔵・主計。称は主計頭・伊勢守。字は叔道・叔卿、号は裕軒・学聚軒。 …