タグ:長州藩
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正親町公董(おおぎまち-きんただ)は、公家・中山忠能の子として、1839年1月24日に生まれた。
その後、正親町実徳の養子になっている。
なお、父・中山忠能は公武合体派の公家として活躍したことから、尊王…
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七卿落ち(しちきょうおち)について詳しくご紹介したいと思います。
七卿落ちと言うのは、中川宮・薩摩藩・会津藩によるクーデターである、1863年8月8日の八月十八日の政変にて失脚した公家7人が、京都から長州に逃れ…
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益田親施(益田右衛門介)は長州藩永代家老・益田元宣の3男(次男とも?)として1802年に生まれた。通称は幾三郎、弾正、のち越中、右衛門介。
母は正室である益田房清の娘・益田孝子(美智子とも?)
益田親施(ま…
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錦小路頼徳(にしきのこうじよりのり)は唐橋在久の子として1834年4月24日に生まれた。
のち、錦小路頼易の養嗣子となっている。
1851年に叙爵を受け、1853年には大和権介となる。
1858年、廷臣…
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そもそも長州藩は、なぜ水戸藩同様に早くから徳川幕府の政治に反対を唱える事になったのだろうか?
どうして、幕府のやり方に不満を募らせる事になったのか?をまず調べてみた。
まず、吉田松陰が生まれた次の年である1831…
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尾崎三良(おざきさぶろう)は、尾崎盛之と4男として、1842年1月22、山城国葛野郡西院村(京都市西院)に生まれた。幼名は捨三郎、別名を戸田雅楽とも言う。
母は桃華子。
幼い頃に両親を失くしたようだが、学問…
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白石正一郎(しらいししょういちろう)は、長門の赤間関竹崎にて萬問屋(荷受問屋、廻船問屋)の小倉屋主人・白石卯兵衛の長男として、1812年3月7日に生まれた。通称は駒吉。または熊之助。号は橘円。
母は艶子。
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遠藤謹助(えんどうきんすけ)は、長州藩士の子として1836年2月15日に生まれたが、幼少期の頃は良くわかっていない。
遠藤太市郎の弟とされる。
1862年、長州藩がイギリスから購入した蒸気船「壬戌丸」(ラン…
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