タグ:尊王攘夷
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松浦松洞(松浦亀太郎)は、萩の松本にて1837年に生まれた魚商人の子。
名は温古、字は知新、後無窮(むきゅう)と改める。通称を亀太郎という。松洞はその号。
幼い頃から絵を描くのが好きで、四条派の羽様西涯(は…
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前原一誠(まえばらいっせい)は、1834年に長門国土原村馬場丁(現・山口県萩市)にて生まれた。
父は長州藩士・佐世彦七(大組47石)、母の名はで、その長男であり佐世八十郎(やさろう)と称していた。
前原家は…
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松下村塾を訪れた方であれば、誰もがちょっと驚いたであろうが、建物は約50㎡の小さな平屋でこじんまりとしている。
当初、八畳一間だったのを、これでも、のちに十畳半一室に増築したと言う。
そんな松下村塾には、高杉晋…
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野村靖(のむらやすし)は、1842年8月6日に長州藩の下級武士・入江嘉伝次(足軽・無給通士)の次男として生まれた。通称を野村和作、野村靖之助という。
兄に入江九一がいるが、兄が家督を継いだ為、野村靖は親戚の野村家に…
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久坂玄瑞
久坂玄瑞(くさか-げんずい)は1840年、長門国萩平安古(ひやこ)本町(現・山口県萩市)で生まれた。幼名は秀三郎。
父は25俵取りの萩藩医・久坂良迪。母は久坂富子で三男であった。(二男はすでに早世してい…
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楫取素彦【小田村伊之助】とは
小田村伊之助(楫取素彦)(かとり-もとひこ)は、1829年3月15日、長門国萩魚棚沖町(現・山口県萩市)の長州藩医・松島瑞蟠の次男として生まれた。通称は久米次郎または内蔵次郎。
兄に…
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入江九一は、1837年、長州で生まれた。通称は万吉、杉蔵。
父は長州藩の足軽・入江嘉伝次。
家が貧しかったため、13歳で働いて家計を支えながら学問に励んだと言う。1854年に父が亡くなると、自分1人で家…
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吉田稔麿
吉田稔麿は、1841年閏1月24日に松本村新道にて誕生した。初名は栄太郎。
父は長州藩士の足軽・吉田清内。母の名は吉田イク。
吉田稔麿の生家と、吉田松陰の生家は近所で、萩の松陰神社の近くに吉田稔…
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