タグ:尊王攘夷

  • 1分でわかる 伊藤利助 (伊藤博文)

     伊藤利助(伊藤博文)は、周防の貧しい農家の生まれだが、父・林十蔵が破産して萩に移り住むと、父が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となり、のちに周防の足軽・伊藤弥右衛門の養子となった為、父と伊藤利助は足軽となった。 …
  • 山田顕義~民法・商法など日本の近代法の整備に尽力

    山田顕義(やまだあきよし)は、長門国阿武郡椿郷東分(現・山口県萩市)で、長州藩士の大組士・山田七兵衛顕行(禄高102石、藩海軍頭)の長男として1844年10月9日に生まれた。 幼名は山田市之允(いちのじょう)。 山田…
  • 赤禰武人【赤根武人】~高杉晋作と対立、2重スパイと断罪され斬首となる

     赤禰武人(あかねたけと、赤禰幹之丞)は1838年1月13日、周防国玖珂郡柱島(現・山口県岩国市柱島)の島医師・松崎三宅の次男として生まれた。  なお、生誕地については異説もある。  名は文平。柱島は安芸灘に浮かぶ小…
  • 品川弥二郎~幕末・維新の外交に重要な役割を担った偉人

     品川弥二郎(しながわやじろう)は、1843年閏9月29日に長州藩の足軽・品川弥市右衛門の長男として生まれた。  足軽の家で身分は低かったが、1858年、15歳で吉田松陰の松下村塾に入門。  温厚正直で人情に厚く、う…
  • 吉田松陰とは 詳細版 吉田寅次郎の生涯 幕末の偉大な奇人

     NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」にて注目を浴びている「吉田松陰」(吉田寅次郎)に関して、出来る限り詳しく年表形式にてご紹介させて頂く。  吉田松陰は、1830年(文政13年)8月4日、家禄26石と言う知行を持たない無…
  • 宮部鼎蔵~池田屋事件に散った熊本藩の勤王志士

    宮部鼎蔵(みやべていぞう)は1820年4月、肥後国益城郡田代村(熊本県上益城郡御船町)にて、宮部春吾の長男として生まれた。宮部鼎三とも。諱は増実。号は田城。 代々医者の家庭で、叔父の宮部増美の養子となった。実弟に宮…
  • 寺島忠三郎~長州藩・尊皇攘夷派忠義の門弟

     寺島忠三郎(てらしまちゅうざぶろう)は1843年に周防国熊毛郡原村(周南市)で生まれた。  長州藩の無給通組・寺島直一の次男。諱は昌昭、字は子大。  弟に寺島秋介がいる。  一度、作間家の養子となったがの…
  • 士規七則とは? 吉田松陰が贈った言葉

     士規七則は、吉田松陰が従弟の玉木彦助に送った言葉だ。  逸材中の逸材として玉木彦助を松下村塾の後継者と考えていたとされる。  ・ 玉木彦助に関してはこちら 士規七則の現代語訳  人として生まれた…

スポンサーリンク


新着記事

  1. 鈴木貫太郎
     今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
  2. 蔦屋重三郎
    蔦屋重三郎とは 蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
Twitterfollow

共有御礼申しあげます



スポンサーリンク
ページ上部へ戻る