吉田松陰 (吉田寅次郎)の名言・思想と人物像に迫る 「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」


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 松下村塾を訪れた方であれば、誰もがちょっと驚いたであろうが、建物は約50㎡の小さな平屋でこじんまりとしている。
 当初、八畳一間だったのを、これでも、のちに十畳半一室に増築したと言う。
 そんな松下村塾には、高杉晋作久坂玄瑞入江九一吉田稔麿伊藤博文前原一誠山県有朋山田顕義ら30名もの門下生が集まり、吉田松陰は明治維新の指導者となる人材を教え育てた。
 また、吉田松陰はそれぞれ皆の個性も大切にしたと言う。

 吉田松陰は幼い頃から「論語」「孟子」を学び、11歳の時に長州藩主・毛利慶親の前で講義もするほどであったと言う。

 野山獄に収監された1年2ヶ月の間には、約600冊の書物を読破したと伝わる。

 しかし、黒船でのアメリカ密航がもし成功していたら、アメリカで多くの事を学んだ吉田松陰は、その後の日本で大変大きな活躍をしただろう。
 その場合、萩にて松下村塾も開かれていなかった可能性もあると思うと、伊藤博文や山県有朋なども歴史に名を残していなかったかも知れない。
 (すみません。妄想ですね・・。)
 
 夢破れた吉田松陰は、次の世代に向けてこんな言葉を残した。

 「諸君、狂いたまえ。」

 現状に満足しないで、自らの行動力で未来を切り開こうと言う意図であろう。
 そんな吉田松陰の思想は主に下記の4つとなる。

一君万民論

 「天下は万民の天下にあらず、天下は一人の天下なり」と主張して、藩校明倫館の元学頭・山県太華と論争を行っている。
 「一人の天下」という事は、国家は天皇が支配すると言う事で、天皇の下に万民は平等だと言う主張となるが、天皇のために万民が死にもの狂いで尽くす事が必要であると言う事。
 すなわち、徳川幕府や藩じたいも否定する過激な思想である。

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飛耳長目

 松下村塾の塾生にいつも「情報を常に収集し将来の判断材料にせよ」と説いていた。
 これが吉田松陰の「飛耳長目(ひじちょうもく)」である。
 この思想を元に、吉田松陰じたいも、東北から九州まで遊学するなどして各地の動静を探った。
 萩の野山獄に監禁後は弟子たちに指示して、各地の情報を収集。
 長州藩に対しても主要な藩へ情報探索者を送り込むことを進言し、また江戸や長崎に遊学中の者に「報知賞」を特別に支給せよと主張した。
 このように吉田松陰の優れた予見はこの情報収集によるところが大きい。

草莽崛起

 「草莽(そうもう)」は『孟子』においては草木の間に潜む隠者を指すが、この場合一般大衆を指す。
 「崛起(くっき)」は一斉に立ち上がることを意味するので、草莽崛起は「在野の人よ、立ち上がれ」と言う意味となる。
 安政の大獄で収監される直前となる1859年4月7日、友人の北山安世に宛てて書いた書状の中で「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」と記して、初めて用いた。

対外思想

 『幽囚録』では、日が昇らなければ沈み、月が満ちなければ欠け、国が繁栄しなければ衰廃する。よって、国を善良に保つのに、むなしくも廃れた地を失うことは有り得て、廃れてない地を増やすこともある。今、急いで軍備を整え、艦計を持ち、砲計も加えたら、直ぐにぜひとも北海道を開拓して諸侯を封建し、隙に乗じてカムチャツカ半島とオホーツクを取り、琉球を説得し謁見し理性的に交流して内諸侯とし、朝鮮に要求し質を納め貢を奉っていた昔の盛時のようにし、北は満州の地を分割し、南は台湾とルソン諸島を治め、少しずつ進取の勢いを示すべきだ。その後、住民を愛し、徳の高い人を養い、防衛に気を配り、しっかりとつまり善良に国を維持すると宣言するべきだ。そうでなくじっとしていて、異民族集団が争って集まっている中で、うまく足を上げて手を揺らすことはなかったけれども、国の廃れないことは其の機と共にある。
 と、記し、北海道の開拓、琉球の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、満洲・台湾・フィリピンの領有を主張した。
 その為、松下村塾出身者の何人かは、明治維新後に政府の中心で活躍した為、吉田松陰の思想は日本のアジア進出の対外政策に大きな影響を与えた。

 「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
 この歌は、失敗に終わったアメリカ密航計画について、獄中で振り返って詠んだ歌である。

吉田松陰は陽明学の思想を好んだ

 吉田松陰は陽明学に大きな影響を受けたとされる。
 中国の明代に、王陽明がおこした儒教の一派で、孟子の性善説の系譜で「権威に盲目に従うのではなく、己の責任をもって行動する心」の必要性を説いたものだ。
 この教えは、自分の良心に照らし合わせ、正しいと思った事が本当に正しい事であると言う事で、志を実現する為にはなんでもすると言う教えだ。
 吉田松陰だけでなく、高杉晋作、西郷隆盛河井継之助佐久間象山岩崎弥太郎渋沢栄一、広瀬武夫、東郷平八郎、三島由紀夫らも大きく影響を受けているが、誤った解釈をすると危険な思想でもある。

吉田松陰の名言

 夢なき者に理想なし
 理想なき者に計画なし
 計画なき者に実行なし
 実行なき者に成功なし
 故に、夢なき者に成功なし

 一日一字を記さば
 一年にして三百六十字を得
 一夜一時を怠らば
 百歳の間三万六千時を失う

 過ちがないことではなく
 過ちを改めることを重んじよ

 学問とは
 人間はいかに生きていくべきかを
 学ぶものだ

 どんな人間でも
 一つや二つは素晴らしい能力を
 持っているのである。
 その素晴らしいところを
 大切に育てていけば、
 一人前の人間になる。
 これこそが人を大切にするうえで
 最も大事なことだ。

志 (こころざし)

 志を立てて、以て万事の源と為す

 ※何事にも、志を立てることが大切である

 これは私が一番大切にしている、野山獄に入っていた際に記載した文書にある言葉である。

 

 (写真は、松陰神社のお守り)

 

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