吉田茂とは 戦後唯一の国葬にまでなった功労者である吉田茂の邸宅も

吉田茂



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吉田茂邸(きゅうよしだしげるてい)は、内閣総理大臣を務めた吉田茂(1878年~1967年)が暮らしていた邸宅で、神奈川県の大磯にありますので、吉田茂と共にちょっとご紹介してみます。

旧吉田茂邸は、横浜の豪商だった吉田茂の養父・吉田健三が明治17年に別荘として建てた屋敷です。

豪壮数奇屋建築風の総檜造りの本邸は、建築家吉田五十八の設計で、建築は京都の宮大工でした。
吉田茂もよく散歩したと言う立派な池泉回遊式の日本庭園は、世界的作庭家の中島健、色彩豊かな本邸周辺部分は、日本庭園研究家の久恒秀治によるものです。


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開戦阻止を目指すほど戦争反対で憲兵隊にも拘置されたと言う吉田茂の邸宅はもともと渋谷にありましたが、太平洋戦争が激化すると売り払って、昭和19年頃から大磯の別荘を利用開始します。
昭和20年には本邸と定め、亡くなる昭和42年まで、ここ大磯にて過ごしていますが、8回くらいの増改築をしたようです。
吉田茂の孫にあたる麻生太郎元首相も、小学校から中学校まで大磯で暮らしたため、週末は吉田邸を訪問しており、組閣名簿の作成を手伝ったとも言われます。

旧吉田茂邸

その麻生太郎元首相の話によると、最初はたいした家ではなかったけど、松の木がだんだん高くなり富士山が見えにくくなったと言います。
松を切るわけにいかないから、だんだん家を上に延ばしていって、訳の分からない「変な家」ができあがったと言う事です。

旧吉田茂邸

簡単に吉田茂と言う人物を簡単にご紹介しますと、父は板垣退助の腹心だった竹内綱で、母親は妾(芸者)だったようで、名前もよくわかっていません。
父の親友が吉田健三を頼って、母が東京に行って世話になっている間に、吉田茂が生まれたと言います。
そして、3歳の時に、吉田健三の養子となり、慶応義塾、学習院、東京帝国大学と進学し、外交官として外務省に入ると、昭和3年には外務次官になっていますので優秀です。
1946年、68歳のときに、内閣総理大臣に就任し、優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期の日本を立て直しました。
デフレ対策のほか、日本国憲法の公布するなど、戦後日本の法整備などを進め、特にサンフランシスコ平和条約を締結し、日米安保条約を結ぶことで、日本の経済発展へと導いた政治家です。
衆議院をバカヤロー解散した総理大臣としてもよく知られます。

旧吉田茂邸

吉田邸の増築した2階部分から望める富士山も素晴らしく、西ドイツのアデナウアー首相も来日した際に招待されています。

旧吉田茂邸から富士山

吉田茂が内閣を退陣したあとも、池田勇人首相・佐藤栄作首相など、政財界の要人が吉田邸を訪れ、元老的地位を保持したため「大磯詣で」とも呼ばれました。
1979年には、大平正芳総理大臣とアメリカ大統領カーターとの日米首脳会談もここ吉田邸にて行われました。

旧吉田茂邸

下記の「内門」は、日米講和条約を記念に建てられた講和条約門で、門の形から「かぶと門」とも呼ばれますが、建築費は、普通の家が一軒建つほどだったそうです。

旧吉田茂邸・かぶと門

晩年の吉田茂は、天気が良いと、一日中飽きずに、富士山を眺めていたと言いますが、昭和42(1967)年10月20日、吉田茂は新館の寝室「銀の間」で息を引き取りました。享年89。

旧吉田茂邸・銀の間

この吉田茂の死に際しては、戦後唯一の国葬が日本武道館で行われ、官庁や学校は半休となっています。

吉田茂の没後には、西武鉄道が買い取り、大磯プリンスホテル別館として利用されていました。

旧吉田茂邸

その後、西武の経営難により売却先を探していると伝わると、地元では保存運動となり大磯町が寄付を募ります。
その寄付が目標額となると、2012年からは神奈川県と協定を結び、県の管理下にて公園整備が開始されました。
しかし、2009年3月22日、漏電による火災が発生して、総ひのき造りの本邸が全焼する事態となり、多くの歴史的調度品や家財道具も焼失しました。

旧吉田茂邸

「吉田御殿」とも呼ばれた現在の邸宅は、吉田茂が暮らした当時の邸宅を神奈川県が総工費5億4000万円にて復元したものです。
麻生太郎元首相の感覚からすると、ヘンな建物になっていた吉田邸を再建するのは、無駄遣いのように思えたようで「意味がないからやめた方が良い」と提案したとも・・。

旧吉田茂邸

ともあれ、無事に工事は完了し、隣接する「県立大磯城山公園」の拡大区域として、2017年4月1日から全面的に一般公開が始まりました。
大磯町によると年間3万人の来場者予測に対して、最初の1ヶ月だけで1万人と、予想を上回る賑わになっているようです。

旧吉田茂邸

七賢堂は、もともと伊藤博文が明治36年に自邸の滄浪閣に建てたもので、当初は岩倉具視大久保利通三条実美木戸孝允の4人を祀っていました。
その後、伊藤博文が加えられ、昭和35年に吉田邸に移転されると、昭和37年に吉田茂が西園寺公望を合祀し、吉田茂の死後には、昭和43年に佐藤栄作によって吉田茂が合祀されて「七賢堂」となりました。

旧吉田茂邸・七賢堂

更に海側の高台へ登ると吉田茂の銅像があります。

吉田茂の銅像

ここは海抜17mの高台で、相模湾の展望も開けます。

相模湾

旧吉田邸ですが日本庭園部分や散策路だけを楽しむのであれば、県立公園ですので無料で利用できます。
復元した建物「旧吉田茂邸」は大磯町の施設で、入館する場合には、有料拝観となります。

旧吉田茂邸

電車の場合、JR東海道本戦の大磯駅前から二宮駅方面へのバスに乗り「城山公園前」バス停で下車。
入口まで徒歩2分ほどです。

車の場合には下記の国道1号沿いに有料駐車場「タイムズ」が新設されています。

駐車場は朝9時~17時の26台で平日は60分間無料ですが、平日でも9割くらい車が埋まっていると言う盛況です。
土日祝は60分300円(以後30分150円)となります。

開館時間は、午前9時から午後4時30分まで(入館は午後4時まで)。
休館日は月曜日・毎月1日・年末年始(12月29日~1月4日)。
観覧料は、大人般500円、中学生・高校生は学生証の提示で200円、小学生までは無料です。
旧吉田茂邸の館内は、フラッシュをたかなければ、写真撮影OKです。
観光所要時間は約30分~60分といったところです。

大磯には日本の海水浴場発祥の地ともされますが、すぐ近くにある「県立大磯城山公園」は、昔の城跡でちょっとした散策にもなります。
特に、展望台からの富士山はとてもキレイですので、ぜひ、大磯城山公園にも足を運んでみてください。

板垣退助 われ死すとも、自由は死せず 自由民権運動に注いだ偉人
大磯城山公園 神奈川県立公園 ちょっとしたハイキングに最適



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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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