千葉佐那 (ちば さな)  坂本龍馬の婚約者


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千葉佐那(千葉さな子、千葉佐那子)は坂本龍馬と婚約をしていた女性。
1838年生まれ?~1896年(明治29年)10月15日没

千葉佐那は北辰一刀流の剣術開祖・千葉周作の弟にあたる千葉定吉の二女として生まれた。初名は乙女。漢字では佐那子と書くが、一般的には佐那とも呼ばれることが多い。兄は千葉重太郎。姉は千葉里幾、妹は千葉幾久で三姉妹。
千葉佐那は馬術と長刀を得意とし、小太刀にも優れ、10代の頃に早くも皆伝の腕前に達した女剣士。北辰一刀流小太刀免許皆伝。
また、美人だったと言われ「千葉の鬼小町」「小千葉小町」「小千葉の小町娘」などと呼ばれた。

坂本龍馬は土佐から江戸を剣術修行で訪れ1853年4月頃に北辰一刀流の桶町・千葉道場(小千葉)に入門。そして、坂本龍馬より3歳年下と考えられる千葉佐那と知り合った。なお、千葉定吉は同年1853年に鳥取藩の剣術師範に抜擢され鳥取藩・江戸屋敷詰となっていたので、千葉道場は長男の千葉重太郎が父に代わって門弟を指導していたようだ。
1854年6月23日に坂本龍馬は土佐に帰国するが、1856年8月に再び千葉道場の世話になる。この頃、24歳の坂本龍馬と21歳の千葉佐那は相思相愛の仲になったとされ、やがて婚約(一説には結婚)した。
修行中の坂本龍馬は1857年に千葉道場の塾頭を任じられたとされ、1858年1月に北辰一刀流長太刀免許皆伝し、9月土佐に帰着。
なお、千葉佐那の姉・千葉里幾が労咳のため、1858年6月に死去している。

1860年に千葉佐那の兄・千葉重太郎も鳥取藩に仕官。脱藩した坂本龍馬が1862年8月に江戸に来ると千葉道場に潜伏。坂本龍馬は千葉重太郎の紹介で、江戸幕府政事総裁職の松平春嶽に面会。松平春嶽の紹介状を携え1862年10月に坂本龍馬は赤坂氷川にある軍艦奉行並・勝海舟の屋敷を訪問。千葉重太郎も坂本龍馬に伴って勝海舟を機を見て斬ろうとしたが、勝海舟の見識の広さ、人物の大きさに感服し坂本龍馬は即日、勝海舟の弟子になることを申し込んだとれさる。
1862年12月には千葉重太郎と坂本龍馬は江戸から京に移動。そして兵庫にいた勝海舟を訪れてもいる。そして、千葉重太郎にはその後、坂本龍馬脱藩の罪を赦免する働きかけも見られる。
1863年2月、千葉佐那の妹・千葉幾久が関宿藩士・清水小十郎と結婚。
同じく1863年2月に坂本龍馬は自分の紋付の片袖を破り、千葉佐那に手渡したとされる。
一説には、千葉佐那が父・千葉定吉の反対を押し切って、坂本龍馬の求婚に応え、天下平穏の後に夫婦となる約束で、双方は結納の品として短刀と桔梗紋(坂本家の紋)の衣服を取り交わしたも言われている。
この「紋付」には諸説あり、千葉家が坂本龍馬に渡すために用意したものを、坂本龍馬の形見と千葉佐那が所持していたと言う説もある。
同年(1863年)8月14日に、坂本龍馬が姉・坂本乙女へ宛てた手紙の中で「さな子は、乗馬がうまく、剣の腕も大変強く、長刀もでき、力は並みの男よりも強く、琴を演奏し、絵も描き、性格もしっかりしていて、それに加え物静かな人だ」と紹介している。

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しかし、坂本龍馬は翌年1864年4月に京でお龍と出会う。1864年12月に江戸に来た坂本龍馬は千葉道場も訪問したが、千葉佐那とは一言も話をしなかったとされている。
1866年1月に寺田屋事件。2月に坂本龍馬はお龍と結婚。
1867年8月、千葉重太郎は浪士を匿った咎で謹慎処分。(12月に謹慎解除)
1867年11月15日に坂本龍馬は京都・近江屋で暗殺された。
千葉佐那は坂本龍馬の死を知った後も、一生を独身で過ごした。

明治維新後の1879年12月5日に父・千葉定吉死去。
1882年1月 千葉重太郎が京都府に御用掛として出仕し、千葉佐那も京都へ移った。
そして1882年9月に、千葉佐那は華族女学校(学習院女子部)に舎監として寄宿舎の管理・監督をする仕事を1888年2月まで行った。「自分は坂本龍馬の許嫁者でした」と学習院の卒業生に語り、形見という木綿の紋服を見せたと伝えられている。
その間、千葉重太郎は1885年に死去していた。
学習院退職後、千葉佐那は鍼灸や整体の心得があり、1888年8月、千住で千住の灸千葉灸冶院を開業。
1892年3月には、1887年に交通事故で亡くなっていた妹・幾久の長男・勇太郎を養子して貰い、「龍太」と名づけて育成もしたが、1895年5月に労咳にて亡くしている。そして、千葉佐那は1896年10月15日、59歳で没した。

千葉佐那の亡骸は東京・谷中の天王寺に埋葬されたが、すでに縁者はなく、無縁仏になるのを、山梨県の民権運動家・小田切謙明の妻・豊次が哀れみ、小田切家の墓地のある山梨県甲府市の日蓮宗妙清山清運寺に分骨したとされている。墓石には「龍馬室」と彫られている。
小田切謙明は板垣退助の紹介で千葉灸冶院に患者として通っており、千葉佐那と面識があったようだ。自由民権家でもあった板垣退助は、坂本龍馬存命中に千葉佐那の事を聞かされており、全国遊説中に千葉佐那を見かけた際、部下に家を付き止めさせて、坂本龍馬からの伝言だとして支援金を送ってもいた。

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