過去の記事一覧

  • 田中土佐 新政府軍を迎え撃ち、自刃した会津藩家老

     田中土佐(田中玄清、たなかはるきよ)は、1820年8月1日、会津藩家老・田中玄良の長男として生まれた。  田中家は伊勢・北畠氏の一門である田丸氏が出自で、甲斐で武田信玄に仕えたのち、保科家の家…
  • 萱野権兵衛 会津藩家老・会津戦争の責任を取り切腹 

     幕末に会津藩の家老を務めた萱野権兵衛(萱野長修)。  萱野家はもともと伊予の加藤嘉明に仕えていた。  加藤嘉明が国替えで会津に移ると、それに従って萱野家も会津に移った。  しかし、加藤嘉明の子・加藤明成が江戸…
  • 梶原平馬 会津藩の外交を担当した有能な家臣

    梶原平馬(かじわらへいま)は、会津藩の名門・内藤家の内藤信順(内藤介右衛門信順)の次男として内藤悌彦(内藤平馬)として1842年に生まれた。 平馬の実家になる内藤家は、戦国時代には武田信玄の重臣・内藤昌豊の流れをく…
  • 神保修理と神保雪子 (会津藩)

    神保修理は、1834年、会津藩家老・神保内蔵助(神保内蔵助利孝)の長男として生まれた。母の名はトシ。 神保家は1000石の上級藩士であり、神保内蔵助は200石を加増され1200石と会津藩の名門であった。 幼いころ…
  • 新島襄の銅像

    新島襄 キリスト教教育に捧げた生涯

    新島襄は、群馬の安中藩士・新島民治と、妻・新島とみの長男として、江戸・神田一ツ橋通・小川町の安中藩邸内で、1843年1月14日に生まれた。 都営地下鉄三田線神保町駅のほど近くに生誕地をしめす石碑がある。 幼名は七五三…
  • 土方歳三「詳細年表」新選組副長 近藤勇と共に正義を貫き最後は函館で

    新選組副長「土方歳三」の生涯の動向をできる限り詳しくご紹介したい。 1834年10月9日、近藤勇が多摩・上石原村(現在の東京都調布市野水)にて誕生。 1834年12月3日、伊東甲子太郎が、常陸国志筑藩(現在の茨城…
  • 荻野山中陣屋

    荻野山中陣屋焼討事件

    ・ 大久保教寛・大久保教翅と荻野山中陣屋からの続きです 幕末期の1867年、倒幕をもくろむ薩摩藩の江戸藩邸で、薩摩藩士・益満休之助、水戸の郷士・相楽総三(小島将満)、武蔵国入間の権田直助、新選組・近藤勇と同じ天然理…
  • 平井加尾の誕生地

    平井加尾と平井収二郎~加尾は坂本龍馬の初恋の相手?

    平井加尾(平井加帆、平井嘉尾、かほ)は、土佐国土佐郡井口村の出身で土佐藩新留守居組(上士)・平井伝八(平井真隆)の次女(長女?)。 平井収二郎の妹となるが、その平井収二郎(ひらい-しゅうじろう)と共にご紹介したいと思う…

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