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藤田小四郎の解説【天狗党の乱】筑波山で挙兵するも
藤田小四郎(ふじた-こしろう)は、幕末の水戸藩士・藤田東湖の4男として1842年に生まれました。 母は、妾である、土岐さき です。 父・藤田東湖は、水戸藩主・徳川斉昭の側用人として、会沢正志斎らと藩政改革にあたってい… -
武田耕雲斎の解説 天狗党を率いた水戸の改革派
武田耕雲斎(たけだ-こううんさい) は、江戸時代後期の1803年、水戸藩士・跡部正続の子として生まれました。 正しい名前は、武田正生、幼名は彦九郎、別号は如雲で、伊賀守を称しました。 戦国時代には、祖先とされる跡部勝… -
藤田東湖の解説 水戸学の改革派
藤田東湖(ふじた-とうこ)は、江戸時代末期の水戸藩士で、儒学者でもあり、幕末の1806年に生まれました。 父は、水戸城で古着屋を営む家に生まれた藤田幽谷(ふじた-ゆうこく) ですが、父も幼いころから優秀だったようです。… -
幕末動乱の元凶は水戸学に有り
欧米列強の脅威を前に国内を二分し、同胞同士が争うことになってしまった幕末。 徳川家康が天下統一を果たして以来、250年もの長い間、盤石であった徳川幕府を滅ぼしたのは、「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」を掲げた下級武士… -
芹沢鴨の解説 壬生浪士組筆頭も暗殺されるその要因は?
芹沢鴨(せりざわ-かも)は、幕末の水戸藩の浪士であるが、出自や生年には諸説あり謎が多い。 北茨城市の神官である下村祐斉義次の娘と結婚し「下村嗣次」と言う名が前名とされ、1860年頃は玉造勢に加わり、石岡や潮来の豪商・豪… -
徳川慶喜(一橋慶喜)の解説 徳川家最後の征夷大将軍 その人柄と評価は?
徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の7男として、江戸・小石川の水戸藩邸にて1837年9月29日に生まれた。幼名は七郎麻呂(しちろうまろ)。 母は正室・吉子女王(有栖川宮織仁親王の娘)。 2018… -
田中愿蔵 天狗党・筑波山の麓にある普門寺から出陣
田中愿蔵(たなか-げんぞう)は幕末の水戸藩にて改革派が挙兵した、天狗党の幹部となって一隊を指揮した人物。 水戸天狗党の乱は、筑波山挙兵に始まった。 藤田小四郎(藤田東湖の四男)は、幕府に即時鎖港を要求するため、非常手… -
近衛忠熙の解説 温厚にして権勢を笠に着ることなかった幕末の公卿
近衛忠熙(このえただひろ)は、江戸時代後期の公卿・近衛基前の子として1808年7月14日に生まれた。 母は尾張藩主・徳川宗睦の娘・琴姫。 1808年2月26日に元服すると、従五位上に叙位され、禁色と昇殿を許され、…