タグ:尊王攘夷
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お登勢(おとせ)は、大津で旅館業・大本重兵衛の次女として1829年頃に生まれた。
※米問屋の娘ともあるが、2013年に大津・丸屋町で「升屋」と言う宿を経営した重助の次女で、兄弟が4人いたことも判明している。
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野村望東尼(のむらもとに、ぼうとうに)は、福岡藩士・浦野勝幸(浦野重右衛門勝幸)(300石)の娘(3女)で、1806年9月6日生まれ。幼名は「もと」(モト)。
17歳のとき最初の結婚をして20歳年上の郡利貫(5…
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板垣退助は土佐藩の上士・乾正成(馬廻300石)の嫡男として、1837年4月17日に生まれた。
母は山内勝長の妹。
記事トップの写真は高知城内にある板垣退助の銅像で、下記は高知城下にある板垣退助誕生地の石碑。
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黒沢五郎(くろさわごろう)は幕末の水戸藩士で、1833年生まれ。名は黒沢保高。変名は吉野政介。
父は水戸藩の藩医・黒沢俊平。
1860年3月3日の桜田門外の変あとである7月に、水戸藩の西丸帯刀と、長州藩…
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中岡慎太郎(なかおかしんたろうは、天保9年(1838年)4月13日~慶応3年(1867年)11月17日の幕末・尊王攘夷派の志士で、陸援隊隊長。
高知城下から西へ約60km離れた土佐国安芸郡北川郷柏木村(現・高知県安芸郡…
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小田彦三郎(おだひこさぶろう)は、幕末の水戸藩士で1833年生まれ。名は朝儀。変名は朝田儀助。
公武合体のため皇女・和宮の降嫁を許可した孝明天皇の退位を、老中・安藤信正らが考えているとの噂を聞いた、水戸浪士・平…
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平山兵介(ひらやまひょうすけ)は水戸藩士で1841年生まれ。名は平山繁義。
一刀流の達人で、1858年に水戸藩に降りた密勅の返上を求めた徳川幕府に反発。
1860年7月には、水戸藩の西丸帯刀・野村彝之介・住…
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中谷正亮(なかたにしょうすけ)は、1828年生まれの長州藩士。変名として中谷附忠兵衛、中谷茂十郎とも呼ばれる。
父は通称・忠兵衛又は市左衛門、章貞。
幼い頃には福原冬嶺から学ぶと、明倫館でも良く学び秀才と称された。
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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