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黒沢五郎(くろさわごろう)は幕末の水戸藩士で、1833年生まれ。名は黒沢保高。変名は吉野政介。
父は水戸藩の藩医・黒沢俊平。
1860年3月3日の桜田門外の変あとである7月に、水戸藩の西丸帯刀と、長州藩の桂小五郎との間でる丙辰丸の盟約(成破の盟約・水長の盟約)が結ばれ、外国人襲撃や幕閣暗殺などの計画に参加した。
そして、実行者として1861年5月28日、有賀半弥ら13名と東禅寺の英国仮公使館を襲撃(第一次東禅寺事件)。
しかし失敗した為、西丸帯刀のもとに潜伏。
その後、徳川幕府の追捕が迫ったために奥州(東北)に逃走した。
のち、江戸に潜伏すると、1862年1月15日、老中・安藤信正を襲撃に参加(坂下門外の変)。
この時、参加した平山兵介、小田彦三郎、高畑総次郎、下野の医師・河野顕三、越後の医師・河本杜太郎らと共に闘死した。享年30(あるいは19とも?)。
明治時代に贈従五位。
西丸帯刀は黒沢五郎の死を悼み、自邸に追悼碑を建立している。
・ 坂下門外の変に関しては、平山兵介のページにて詳しく解説しています。
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