カテゴリー:幕末・維新
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毛利都美姫こと毛利都美子(もうりとみこ)は、長州藩第12代藩主・毛利斉広の娘で、1833年生まれ。
1837年、毛利家の養子になっていた毛利敬親が第13代藩主に就任。
のち毛利本家の娘である毛利都美子と毛利敬親…
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前原一誠(まえばらいっせい)は、1834年に長門国土原村馬場丁(現・山口県萩市)にて生まれた。
父は長州藩士・佐世彦七(大組47石)、母の名はで、その長男であり佐世八十郎(やさろう)と称していた。
前原家は…
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松下村塾を訪れた方であれば、誰もがちょっと驚いたであろうが、建物は約50㎡の小さな平屋でこじんまりとしている。
当初、八畳一間だったのを、これでも、のちに十畳半一室に増築したと言う。
そんな松下村塾には、高杉晋…
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1848年11月11日に生まれた佐久間恪二郎(さくまかくじろう)は、幕末の洋学者・佐久間象山とその妾・お蝶の子として生まれた。
1864年、父・佐久間象山が、一橋慶喜に招かれて京にのぼった際、佐久間恪二郎も…
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毛利敬親(もうりたかちか)は、1819年2月10日、長州藩の第11代藩主・毛利斉元(福原房昌)の嫡男として生まれた。幼名、猶之進。初名は教明。
母は、側室:原田氏の娘。
同年1819年8月28日に、父・…
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楫取素彦【小田村伊之助】とは
小田村伊之助(楫取素彦)(かとり-もとひこ)は、1829年3月15日、長門国萩魚棚沖町(現・山口県萩市)の長州藩医・松島瑞蟠の次男として生まれた。通称は久米次郎または内蔵次郎。
兄に…
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山川大蔵(山川浩)とは
幕末の1845年11月6日、山川大蔵(やまかわおおくら)は、会津藩国家老・山川重固(家禄1000石)、母・会津藩家臣・西郷近登之の娘・山川えん(山川艶)の間に、会津若松城下の本二之丁で生まれ…
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山川捨松(山川さき、山川咲子、大山捨松)は、1860年2月24日、会津藩の国家老・山川尚江重固(なおえしげかた)と、母は会津藩家臣・西郷近登之の娘・山川えん(山川艶)の娘として誕生した。
姉に山川二葉、兄に山川大蔵…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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