カテゴリー:長州藩
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1781年生まれの山縣大華(山県大華)は、正統の朱子学者で、長州藩の藩校・明倫館の学長(学頭)をしていた。
20歳前後の吉田松陰が明倫館の先生となると、当時80代の山縣大華の朱子学的見解と意見が分かれ、論争…
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中川宇右衛門(なかがわうえもん)は、1805年生まれの長州藩士。名は以徳。通称は登人。
用所役を務めると蔵元両人役、遠近方、国事用掛、矢倉頭人などを歴任。
椋梨藤太と共に保守派(俗論派)の中心人物で…
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幕末の長州藩では藩論が二分し、正義党と俗論党が内部抗争を繰り返していた。
そんな派閥のメンバーリストと、各派閥の他の呼び名と共に、まとめておきたい。
改革派(正義派・尊王尊攘派・急進派・倒幕派・勤王派)
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井上馨(いのうえかおる)は、長州藩士・大組の井上光亨(井上五郎三郎、100石)の次男として、周防国湯田村(現山口市湯田温泉)にて1835年11月28日に生まれた。
幼名は井上勇吉。通称は長州藩主・毛利敬親から拝受し…
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1829年-小田村伊之助が誕生
1830年-杉寅次郎(吉田寅次郎)が誕生
1831年-防長大一揆が勃発
1842年-叔父・玉木文之進が松下村塾を開設
1843年-杉文が4女として誕生、村田清風が藩政改革を開始、老…
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松下村塾とは
松下村塾は、幕末の長州藩・萩で、1842年、長州藩士・玉木文之進が松本村の自宅で開いた私塾が始まりで、塾の名を松下村塾と名付けた。
この玉木文之進は、吉田寅次郎の叔父で、幼い頃の吉田寅次郎も近所で通…
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吉村善作(よしむらぜんさく)の名は行昭、字は明卿、号は五明庵・花廼舎・顕龍などある。
寺子屋の師匠を務めていたことがあり、俳句に長けた人物であった。
1854年に、吉田松陰が野山獄に入った際に、47…
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大深虎之丞(おおぶかとらのすけ)は1779年生まれとされ、吉田松陰が野山獄に入った際、囚人の中で最年長の長老であり、御年は76歳、獄中生活47年のベテランであった。
野山獄は部屋の出入りや差し入れも自由であ…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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