吉村善作  長州藩の俳人で野山獄の獄囚


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 吉村善作(よしむらぜんさく)の名は行昭、字は明卿、号は五明庵・花廼舎・顕龍などある。

 寺子屋の師匠を務めていたことがあり、俳句に長けた人物であった。

 1854年に、吉田松陰野山獄に入った際に、47歳の吉村善作も在獄5年で野山獄におり、吉田松陰は俳句の手ほどきを頼んだと言う。

 すると、高須久子など他の囚人も吉村善作や河野数馬から俳句を学ぶようになり、獄吏・福川犀之助の理解もあり、獄中で俳句会なども定期的に開催している。

 また、吉村善作も吉田松陰からもたくさんの事を獄中で学んだ他、富永有燐からは書を習ったと言う。。

 吉田松陰は出獄すると、富永有隣と共に吉村善作も松下村塾の講師に招こうと活動したが、実現はしなかった。

 吉村善作は1856年3月に野山獄から流刑となり、藍島(相島とも?)に移された。その後の消息はわかっていない。

 → 野山獄について も是非ご覧ください

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