カテゴリー:長州藩

  • 弘中勝之進  野山獄の囚人

     弘中勝之進は、人を切った殺人の罪で、長州藩の野山獄に収監されていた。生没年など詳しい事は全く不明だ。  吉田松陰が入った際には既に17年も獄中にいたとされるが、士分が入る野山獄にいたので、恐らくは長州藩士であった…
  • 志道又三郎 井上喜左衛門 野山獄の囚人

     志道又三郎(しじまたさぶろう)は1803年生まれの幕末期の長州藩、野山獄の囚人。  井上喜左衛門に関しても、野山獄にいたと言う事以外、よくわからない。  「花燃ゆ」では、井上喜左衛門が捨ててあったお手玉を高須久…
  • 佐世元定 福原越後 福原元僴 長州藩家老

     佐世元定(福原越後)は、長州藩支藩である周防徳山藩主・毛利広鎮の6男として、1815年8月28日に生まれた。  母の名は不詳。  六男であり家督を継げなかったので、長州藩士・佐世親長(益田就恭の実弟)の養子とな…
  • 幾松(木戸松子)~京の舞妓で桂小五郎の恩人

    幾松(いくまつ)は、若狭小浜藩士・木崎市兵衛の娘として、1843年に生まれた。 母は三方郡神子浦の医師・細川益庵の娘・末子。 父・木崎市兵衛は、若狭小浜藩主・酒井忠義に仕え、町奉行の祐筆であったが、藩内の事件から…
  • 馬関とは

     馬関とは、山日県下関のことで、下関の古い名称である。  赤間関(あかまがせき)を赤馬岡とも書いたことから馬関と称された。  文久3年(1863年)長州藩は覇夷を実行するため、他藩にさきがけて下関海峡(馬…
  • 育み  長州藩独特の制度

     育み (はぐくみ) は、武家の家柄などに関係なく、他家の優秀な子などを自分の養子にしたり、その逆で家禄の高い武家の養子になることで、立身出世への道を拓く、長州藩独特の制度。  幕末には時局対応の目的から、優秀な人…
  • 山根文季  コロリで命を落とした長州藩の名眼科医

     長州藩医(眼科医)であった山根文季は、矢原村で眼科医として名声高い重宗良策の次男である。名は山根正直とも。  子の小野為八(おのためはち)は幕末の攘夷運動に身を捧げている。  山根文季はは矢原の蔵光で育ち、げん…
  • 高杉雅 (井上雅、高杉雅子、マサ) 長州藩士の娘で高杉晋作の妻

     高杉雅は、高杉晋作の妻。  長州藩士・井上平右衛門の次女が、井上雅(まさ)で、1845年生まれ。  高杉家は200石だったが、井上平右衛門の家柄は500石で、山口町奉行を務めていたと言う。  萩城…


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