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新選組の副長・土方歳三と、局長・近藤勇。
若きリーダーである近藤勇を、一番良く理解した土方歳三が支えたと言う。
普通に新選組を語るのであれば、局長であった近藤勇が先に来て「近藤勇と土方歳三」と言う風になると存ずるが、あえて土方歳三の視点からこの2人がどのような関係であったのかを探ってみたい。
土方歳三の出身は、武蔵国多摩郡の石田村(東京都日野市石田)の豪農・ 土方義諄の末子として、1835年5月5日生まれ。
一方、近藤勇は武蔵国多摩郡上石原村(東京都調布市野水)の豪農・宮川久次郎の家に生まれたのは1834年10月9日。
年齢的は、土方歳三が、今で言う1個下と言う事になるが、僅か7ヶ月先に生まれたのが近藤勇と言う事になる。
小説などでは、2人は幼馴染だとする場合が多いが、本当にそうだったのだろうか?
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お互いの家は、同じ「多摩」にあるとは言え、渋滞なしで車で20分の距離となる約11kmも離れている。
急ぎ足で歩いたとしても2時間掛かる距離だ。
幼い頃に同じ寺子屋で学んだと言う史料も見つからない。
1845年に、土方歳三の姉・とく(佐藤のぶ)が、日野宿の名主・佐藤彦五郎に嫁ぐと、それから歳三は佐藤家にも良く出入りするようになった。
その後、1850年にその佐藤彦五郎は、武芸を身に着ける為、天然理心流「試衛館」の近藤周助の門を叩いている。
この時、日野の自邸に「道場」を設けたことから、前年に試衛館に入っていた、近藤勇も出稽古にと日野に赴くようになった。
カギを握るのは、新選組六番隊長である井上源三郎と、兄・井上松五郎である。
この2人は日野宿北原(日野市本町)に住んでいる。
井上源三郎は兄に勧められる形で、1847年に試衛館に入ったが、兄・井上松五郎は1843年頃、門人となったようで1845年に免許皆伝となっている。
と考えると、恐らく佐藤彦五郎は、井上松五郎に頼んだのか、勧められたのか、そのツテで近藤周助の門を叩いたと推測できる。
となると「武士になりたい」と考えていた土方歳三は、佐藤彦五郎の道場で稽古にも励み、井上松五郎の影響も受けて、その日野の道場に出稽古に来た近藤勇らと顔見知りとなったと考えてよいだろう。
そうすると早くても土方歳三が16歳のとき、1849年11月11日に入門したばかりである17歳頃の近藤勇と知り合ったと言う事になり、これを幼馴染と表現するのは難しいのではと存ずる。
ただし、土方歳三は石田散薬を売り歩いたとする説や、24歳頃まで江戸へ奉公に出ていたとする説もあり、まだまだ「出会い」については議論の予知もあるかと思う。
もし、意見や情報をお持ちの方がおられたらコメント欄にお寄せ願えるとうれしく存ずる。
いずれにせよ、近藤勇と佐藤彦五郎は義兄弟の契りを結んだ事で、土方歳三と近藤勇も親しく接する機会を得るに至り、年齢も同じくらいだったのため意気投合したのだろう。
そして、1859年3月29日、正式に土方歳三は天然理心流に入門。
近藤勇は1860年に松井つねと結婚し、8月には府中六所宮(大國魂神社)にて、土方歳三、天然理心流宗家四代目襲名披露の野試合を行い
さて、近藤勇や土方歳三が、なぜ徳川幕府に味方したのか?
新選組が好きな方であれば良くご存じのはずであるが「多摩出身」と言うのが大きく影響している。
多摩が江戸から近いと言うよりは、江戸時代の多摩は天領、すなわち徳川幕府の直轄地であり、豪農に生まれたこの2人は、当然徳川家に縁を感じていた事だろう。
それ故に、徳川幕府の将軍警護を掲げ、清河八郎が発案した「浪士組」に山南敬助・永倉新八・沖田総司・原田左之助・藤堂平助・平山五郎・野口健司・平間重助らと参加した。
また、その浪士組が京都に着いてすぐに、清河八郎が浪士組を幕府の為では無く、尊王攘夷活動に使おうとして江戸に戻す際にも、当然反対してそのまま京都に滞在。
新見錦・芹沢鴨や、残った試衛館メンバーらと共に幕府の為「壬生浪士組」として、治安維持を行う判断をしたのもうなづける。
そして、1863年、中川宮と薩摩藩・会津藩によって八月十八日の政変が起こると、壬生浪士組の活躍は認められて「新選組」の名を授かる。
その後、新見錦を切腹に追い込み、芹沢鴨などは土方歳三らが暗殺。
出世欲が強かった近藤勇が権力を握り局長となると、土方歳三は右腕として鬼の副長に就任したのであった。
・土方歳三資料館
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コメント
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2015年 4月 19日トラックバック:近藤勇 新選組局長として徳川幕府に尽くす – 幕末維新
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2015年 9月 26日トラックバック:新撰組副長である土方歳三の「生き様」とは – 幕末維新
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2015年 10月 01日
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2016年 7月 25日
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