渋沢市郎右衛門の解説 渋沢ゑい(渋沢エイ)も 

渋沢市郎右衛門



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渋沢市郎右衛門とは

渋沢市郎右衛門(しぶさわ-いちろうえもん)は、江戸時代後期の1809年頃に、豪農・渋沢宗助の3男として生まれました。
出身地は武蔵国血洗島で、渋沢一族で最も裕福な「東の家」(ひがしんち)の2代目が父・渋沢宗助(そうすけ)となります。
渋沢市郎右衛門の、はじめの名前は、渋沢元助(しぶさわ-もとすけ)です。

渋沢家屋敷

中の家

当時、渋沢家の分家である「中の家」(なかんち)が財政的に苦しんでおり、中の家を立て直すため(中の家に男子がいなかったため)、父・渋沢宗助は、3男の渋沢宗助を「中の家」の渋沢ゑい(渋沢エイ)と結婚させ婿入りさせました。



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そして、中の家の嗣を継いで、代々の当主が名乗る「渋沢市郎右衛門」と称したことになります。
妻の渋沢ゑい(渋沢栄)は、1811年生まれですので、渋沢市郎右衛門よりも約1~2歳年下と言う事になります。
渋沢エイの話としては、慈悲深い逸話が多く、愛情にあふれた人柄として知られます。

渋沢市郎右衛門(渋沢宗助)の性格は非常に真面目で、大変几帳面だったと言います。
とても勤勉家で、農業をはじめ、養蚕、藍の製造・販売、村人に金の融通もするなど、農・工・商・金融を兼ねた多角経営を行いました。
また、初めは武士になろうと考えていたこともあり、武芸はもちろん、学問も四書五経や俳諧にも通じていた教養者でした。

このように、中の家3代目となった渋沢市郎右衛門(渋沢宗助)は、養蚕や藍玉作りと販売、そして雑貨屋・質屋業を営むなどして財を成し、中の家を見事再興させました。
特に、藍玉は、年間1万両も売れたと言います。

藍玉(あいだま)と言うのは、藍の葉を発酵・熟成させたうえで、蒅(すくも)を突き固めて固形化した染料で「藍染め」として知られます。
手順が複雑で難しいため、誰でも作れるようなものではなかったようです。

そして、1840年、3男の渋沢市三郎(渋沢栄一)が生まれています。
その前に誕生していた、長兄、次兄は、ともに早世したため、渋沢栄一が嫡男として育てられ、市郎右衛門が学問の手ほどきをしたと言います。



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1861年、家業を継ぐ立場の渋沢栄一が江戸に出て勉強したいと言うと、父である渋沢市郎右衛門は、農業が暇な春先であれば良いと許しました。
渋沢栄一は、2ヶ月ほど江戸にて勉学に励んでいますので、理解もある父親だったようです。

ちなみに、渋沢栄一が江戸での滞在費として、1泊2食付きの宿舎が、1ヶ月1両でしたので、藍玉の事業による年間1万両の売上が、莫大だったことが伺えます。

水戸藩主・徳川斉昭の子である徳川昭武(とくがわ-あきたけ)が、将軍・徳川慶喜の代理として、慶応3年1月(1867年2月)に使節団を率いてヨーロッパに渡ります。
この時、会計係として渋沢栄一も随行し、ナポレオン3世に謁見し、パリ万国博覧会を訪問するなどしました。
しかし、この間に、徳川慶喜が大政奉還し、薩長により新政府が樹立します。
そのため、徳川昭武(14歳)の訪問団一行は、幕府からの滞在費を得られなくなったため、渋沢栄一は渋沢市郎右衛門に資金援助を要請しました。
この時、渋沢市郎右衛門は、徳川昭武の留学費用を賄うため、家・屋敷などの資産をすべて処分することを決意したと言います。
ただし、実際には、新政府が徳川昭武らに帰国を命じたため、屋敷などの処分は免れていますが、この渋沢市郎右衛門の決断には、尾高惇忠も称賛しています。



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帰国した渋沢栄一は、大蔵省に入りますが、1871年(明治4年)に渋沢市郎右衛門は死去。
渋沢エイの没年は、1874年となります。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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