渋沢宗助の解説 東の家の当主 渋沢まさ も

渋沢宗助



渋沢宗助(しぶさわ-そうすけ)は、江戸時代後期の武蔵国榛沢郡血流島村(深谷市)の名主(豪農)で、寛政6年12月2日(1794年)に、渋沢長登の長男として生まれました。

当時の血洗島村に、渋沢氏を名乗る農家は17軒ほどあったそうで、家の場所によって「東の家」「西の家」「中の家」「前の家」「新屋敷」などと呼ばれていました。
その東の家(ひがしんち)は、前の家からの分家でしたが、養蚕や藍玉の製造・販売に活路を見出して、巨万の富を築いており事実上の本家(渋沢龍彦家)となっていたようで、2代目がここでご紹介する渋沢宗助(渋沢政徳)となります。

妻の名は渋沢まさです。
長男は渋沢徳厚(3代目・渋沢宗助)、次男は渋沢文左衛門、3男が渋沢元助、娘・渋沢やへがいます。



渋沢文左衛門(渋沢文平)は、渋沢喜作(渋沢成一郎)に繋がっています。
渋沢ヤヘは、尾高勝五郎保孝に嫁いで、尾高惇忠尾高長七郎らを設けています。

本家筋は、もともと中の家でしたが小農へと没落しており、当時、東の家(ひがしんち)の渋沢宗助が最も成功していて裕福でした。
叔父の渋沢仁山から学問を学び、幅広く交流を持った人物と伝わります。
また、剣術を学ぶと、地元で道場「練武館」や、寺子屋をもうけて、教育にもあたりました。

1833年から1844年には、奥州や信州などで新しい養蚕技術を学び、研究した成果として、安政2年(1855年)に「養蚕手引抄」を自費出版すると言う、養蚕改良家の一面もあります。

また、渋沢家の宗家筋にあたる「中の家」(なかんち)が財政的に厳しいのと、後継ぎになる男子がいないのを見て、渋沢宗助(渋沢宗休)は、3男の渋沢宗助を「中の家」の渋沢ゑい(渋沢エイ)と結婚させて、婿入りさせました。
渋沢元助は、中の家に入ると、渋沢市郎左衛門と称し、渋沢ゑいとの間に「渋沢栄一」が生まれたと言う事になります。

渋沢宗助は、明治3年12月2日に死去。享年77。
号は誠室です。



なお、東ノ家からは、フランス文学者となる澁澤龍彦を輩出しています。

2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では、渋沢宗助を俳優の平泉成さん、妻の渋沢まさを、朝加真由美さんが演じられます。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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