御年寄「幾島」とは~篤姫に仕えて大奥に入った薩摩の女性


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幾島(いくしま)は、幕末に薩摩藩から徳川将軍に嫁いだ正室・篤姫(天璋院)付きの御年寄を務めた女性ですが、どんな人物だったのか?調べてみました。

1808年6月18日に生まれた幾島の父は薩摩藩御側用人の朝倉景矩(朝倉孫十郎景矩)となりますので、幕府側の女性ではなく、薩摩の女性となります。
母は久保田藩士である阿比留軍吾の娘・民ですが、この情報が判明したのはNHK大河ドラマ「篤姫」が放送された2008年に調査が行われたためで、それまで出自などは不明でした。

最初、幾島は「藤田」と称しており、薩摩藩主・島津斉宣の娘・郁姫(いくひめ)が、五摂家筆頭の近衛家当主で関白の近衛忠煕に嫁ぐ際に、藤田(幾島)が上臈として付き添って、ともに京都の近衛邸に入っています。
そして、郁姫の世話をしていた藤田でしたが、1850年3月29日に郁姫が43歳で死去してしまいます。
そのため、藤田も京にて出家し、得浄院と号すると、当主・近衛忠煕に仕えながら、郁姫の菩提を弔いました。

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その後、徳川幕府からの要請を受けて、薩摩藩主である島津斉彬の養女・篤姫(島津篤子)が、徳川将軍・徳川家定と結婚することになります。
江戸の藩邸に入った篤姫は、1856年に右大臣・近衛忠煕の養女となりました。
そうです。
藤田が従っていた郁姫の嫁ぎ先ですね。
その縁もあり、作法にも精通していた藤田は再び要請を受けて「幾島」と名を新ためて篤姫付き御年寄となりました。
そして、大奥にあがる前の篤姫の教育を行っています。

その後、幾島自身も、近衛家の家士・今大路孝由の養女となって、篤姫と共に江戸城・大奥へ入りました。

なお、大奥にて幾島は、薩摩藩・江戸藩邸の奥老女・小ノ島と連絡を取り、西郷隆盛から国元に幕府や次期将軍の継承問題などの情報を伝えたとされています。

その後、体調を崩したようで1864年1月15日に戸塚静海の診察を受けています。
1865年過ぎからは大奥での幾島を確認できていないため、大奥を去ったと考えられます。

なお、いよいよ倒幕となり、1868年に戊辰戦争となると、幾島は大奥に戻って大御台所・天璋院(篤姫)の使者を務め、薩摩軍と交渉しており、江戸城の無血開城にも尽力したと言われています。

明治維新となり、明治3年(1870年)4月26日に、幾島は東京で亡くなりました。享年63。



島津家菩提寺である東京の大圓寺に葬られましたが、鹿児島の朝倉家墓地(唐湊墓地)に幾島招魂碑があります。

1990年の大河ドラマ「翔ぶが如く」では幾島を樹木希林さんが演じられましたが、2008年の「篤姫」では松坂慶子さん、2018年の「西郷どん」では斉藤由貴さんが演じられます。
※斉藤由貴さん辞退となり、代役として南野陽子さんが選出されました。

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