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NHK総合で、2018年1月7日(日)からスタートする大河ドラマ「西郷どん」。
俳優・徳井優さんが演じる島津斉彬の側近として「山田為久」と言う薩摩藩士が登場しますが、どのような武士だったのでしょうか?
山田為久(やまだ-ためひさ)は、NHKの解説によりますと・・。
斉彬の側近。国難に向けて「日本の国の形を変える」と宣言する斉彬の壮大な計画を支え忠義を尽くそうとするが、その本意が時折理解できず、翻弄される。斉彬のお庭方として抜擢される吉之助の無謀さにも、翻弄される。
とあります。
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同姓同名と言う事ではないですが、島津斉彬の側近には小納戸側役「山田為正」(山田壮右衛門為正)なる薩摩藩士がいたことは確認できます。
この山田為正は島津斉彬の近くで仕えており「安政元年島津斉彬参府御供日記」などを残しているため、詳細に島津斉彬の行動が伺い知れます。
島津斉彬が京へ江戸に赴く際には、山田為正が先行して現地に行き調整をすることもあったようです。
となると、山田為正は西郷吉之助(西郷隆盛)とも面識は大いにあったことでしょう。
そして、島津斉彬が倒れると「御遺言ノ趣・山田壮右衛門筆記」として、島津斉彬の遺言を記録したのも山田為正(山田壮右衛門為正)となります。
島津斉彬は病に倒れる9日前、琉球王使(王族の伊江王子)と鹿児島城で会見しました。
この琉球使節はその後江戸へ向かう予定でして、慶賀使・謝恩使の江戸出府を案内・警固する名目で、薩摩藩は「出兵準備」を進めたとも言えます。
しかし、将軍・徳川家定が死去したことで、慶賀使の江戸行きは無くなったと言えます。
とは言え、この山田為正(山田壮右衛門為正)に関してわかっていることは、このように遺言もしたためた側近と言う事くらいです。
生没年も不明です。
あとは、島津久光の時代に、小納戸役に山田壮右衛門(やまだそうえもん)が復帰したとありますので、一時、藩政から退いていた可能性もあります。
同様に、大河ドラマ「西郷どん」に登場する「山田為久」に関して調べてみても、まったく出てきません。
となると、山田為久のモデルが実際に側近だった山田為正とも考えられますが、側近は何人いてもおかしくないので、別人の可能性も残ります。
江戸藩邸や大阪藩邸に常駐した藩士と言う事もあり得ますしね。
ただ、別人だとしたら、そこまで詳しく調べている原作の林真理子さんはスゴイですね。
なお、山田為正も子に恵まれなかったようで、薩摩藩士・園田八右衛門の4男と養子に迎えたようです。(山田為種の養子の可能性も?)
この養子・山田為暄(やまだ-ためのぶ)は、のち兵庫県警部長、福岡県知事、大分県知事、警視総監、亡くなるときには貴族院勅選議員を務めています。
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