カテゴリー:幕末・維新

  • 錦小路頼徳 下関で若くして命を落とした七卿落ちの公家

     錦小路頼徳(にしきのこうじよりのり)は唐橋在久の子として1834年4月24日に生まれた。  のち、錦小路頼易の養嗣子となっている。  1851年に叙爵を受け、1853年には大和権介となる。  1858年、廷臣…
  • 四条隆謌~唯一帝国陸軍の道を歩んだ幕末の公卿

     四条隆謌(しじょうたかうた)は、権大納言・四条隆生の2男として1828年9月9日に生まれた。  1862年10月、孝明天皇の侍従に就任。  1863年、中川宮や薩摩藩・会津藩による八月十八日の政変では、三条…
  • 壬生基修 七卿落ちの1人である東京府知事

     壬生基修(みぶもとおさ)は、参議・庭田重基の三男として1835年4月4日に生まれた。  庭田家は、藤原氏北家である園家の支流。  壬生道吉の養子となり、1850年には昇殿している。  正室は四辻公績の四女・重…
  • 広岡正秋(広岡久右衛門正秋)  あさが来た加島屋の9代目当主

     広岡正秋(広岡久右衛門正秋)は、広岡信五郎の弟で1844年生まれ。  広岡家は、大阪の玉水町(大阪市西区土佐堀通)にて、米問屋と両替業を兼営していた「加島屋広岡家」。  堂島米市場の重鎮として、徳川幕府や諸藩の財用…
  • 東久世通禧 兵器に精通し北海道開拓にも尽力した公卿

     東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は、東久世通徳の子として、1833年11月22日に生まれた。  東久世は久我家が本家の村上源氏であり、岩倉具視の岩倉家と同族の公卿で、蔵米30石3人扶持の下級公卿の家柄であった。 …
  • 三条西季知とは~国学・和歌に通じた公卿

     三条西季知(さんじょうにしすえとも)は、三条西実勲の子として1811年2月26日に生まれた。  母は三条実起の長女。  通称銓丸、字は子迪、名は知、変名榎木藤一郎、号は蓬翁。  香川景樹や高松公祐の門人と…
  • 長州藩や薩摩藩が倒幕に傾むいたその背景・財力・借金は?

    そもそも長州藩は、なぜ水戸藩同様に早くから徳川幕府の政治に反対を唱える事になったのだろうか? どうして、幕府のやり方に不満を募らせる事になったのか?をまず調べてみた。 まず、吉田松陰が生まれた次の年である1831…
  • 江戸時代の武士は何を学んだのか? 武士の学問

     今回、コメント欄から高橋様よりご質問を賜りました。  ご質問の趣旨は、江戸時代に幕府に仕えた武士、すなわち「旗本」などが何を学んだのか?と言う事でして、お調べしてみました。  私も、江戸時代を含むあとの時代…

スポンサーリンク


新着記事

  1. 鈴木貫太郎
     今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
  2. 蔦屋重三郎
    蔦屋重三郎とは 蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
Twitterfollow

共有御礼申しあげます



スポンサーリンク
ページ上部へ戻る