カテゴリー:幕末・維新
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松下村塾とは
松下村塾は、幕末の長州藩・萩で、1842年、長州藩士・玉木文之進が松本村の自宅で開いた私塾が始まりで、塾の名を松下村塾と名付けた。
この玉木文之進は、吉田寅次郎の叔父で、幼い頃の吉田寅次郎も近所で通…
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勝海舟とは
勝海舟(かつかいしゅう)は幕末の旗本で、幼名・通称は勝麟太郎(かつりんたろう)と言う。
勝氏は徳川幕府の御家人から旗本へと出世した家柄となる。
勝海舟も昇進すると勝安房守を称した。
年表的には18…
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梅田雲浜(うめだうんぴん)は、小浜藩士・矢部義比の次男として1815年6月7日に誕生した。
通称は源次郎。号は雲浜、湖南。
雲浜の号は、若狭国小浜海岸の由来で名づけたという。
ちなみに、解体新書で有名な医師…
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富永有燐(富永有隣、富永弥兵衛、とみながゆうりん)は、周防国吉敷郡陶村(現在の山口県山口市)にて1821年5月14日に生まれた。
父は長州藩士である御膳夫士の富永七郎右衛門で、その長男。諱は徳、後に悳彦。通称は弥兵…
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高杉小忠太(たかすぎこちゅうた)は、長州藩士の大組士で、妻の名は道(みち)、長男に高杉晋作がいる。
1814年10月13日、長州藩士・高杉春豊(200石)の次男として萩で生まれた。名は春樹。通称は別に小左衛門、…
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毛利安子(もうりやすこ)は、長門長府藩の第12代藩主・毛利元運の次女として、1843年3月の生まれた。
幼名は銀姫。
のちに、6歳で長州藩主・毛利敬親の養女となり、15歳の時、徳山藩第8代藩主・毛利広鎮の1…
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伊藤利助(伊藤博文)は、周防の貧しい農家の生まれだが、父・林十蔵が破産して萩に移り住むと、父が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となり、のちに周防の足軽・伊藤弥右衛門の養子となった為、父と伊藤利助は足軽となった。
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山田顕義(やまだあきよし)は、長門国阿武郡椿郷東分(現・山口県萩市)で、長州藩士の大組士・山田七兵衛顕行(禄高102石、藩海軍頭)の長男として1844年10月9日に生まれた。
幼名は山田市之允(いちのじょう)。
山田…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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