カテゴリー:幕末・維新
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伴兼之・榊原正治とは
伴兼之(ばん-かねゆき)、庄内藩出身の志士でしたが、西郷隆盛が薩摩に下野すると、榊原正治(さかきばら-まさはる)と共に遠く山形の地から鹿児島に渡り、私学校に入ります。
2人は大変優秀で、私学…
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江藤新平(えとう-しんぺい)は佐賀藩下級藩士・江藤胤光と妻・浅子の長男として、1834年に佐賀郡八戸村で生まれた。
1848年に佐賀藩の藩校・弘道館に入学すると成績優秀であったが、父が職務怠慢として永蟄居処分となったた…
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寺島宗則(てらしま-むねのり)
海外との交流が遮断された中、長崎の出島からオランダを介して入ってくる西洋の技術・文化・知識を蘭学と呼び、そういった知識を研究する人々を蘭学者といいます。
西洋の先進した技術を学ぶべ…
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高田屋嘉兵衛とは
高田屋嘉兵衛(たかたや-かへえ)(1769年1月1日~1827年4月5日)は、江戸時代後期に蝦夷地・箱館にて活躍した廻船商人です。
もともとはも淡路島の百姓の生まれ、22歳のときに兵庫津にて船乗…
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宇須岸館
宇須岸館(うすけし-やかた)は、宇須岸河野館、箱館(はこだて)とも呼ばれる館跡です。
土塁と堀を四方に巡らした「方形館」と箱の形をしていたことから、箱館と呼ばれることもあり、函館の地名の由来にもなりまし…
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日本海に面した北海道の江差町は江戸時代から、ニシン漁と北前船貿易で栄えた港町です。
その江差の港に「開陽丸青少年センター」と言う、えさし海の駅「開陽丸」があります。
道の駅ならぬ海の駅?じたい、珍しい表現ですが、実物…
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函館戦争と言えば、五稜郭や弁天台場の方が有名ですが、このページでは「四稜郭」「権現台場」「三稜郭」「千代ヶ岱陣屋」と言った、五稜郭を守るうえでの各拠点に焦点を当ててみたいと存じます。
まずは「四稜郭」からです。
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函館戦争の際に、一本木関門付近にて新選組副長・土方歳三は戦死しましたが、この時、救出に向かおうとして奮闘していたのが、この弁天台場(べんてんだいば)です。
函館の弁天岬台場跡(弁天台場)は、もともと函館奉行所が函館…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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