タグ:明治政府

  • 四条隆謌~唯一帝国陸軍の道を歩んだ幕末の公卿

     四条隆謌(しじょうたかうた)は、権大納言・四条隆生の2男として1828年9月9日に生まれた。  1862年10月、孝明天皇の侍従に就任。  1863年、中川宮や薩摩藩・会津藩による八月十八日の政変では、三条…
  • 壬生基修 七卿落ちの1人である東京府知事

     壬生基修(みぶもとおさ)は、参議・庭田重基の三男として1835年4月4日に生まれた。  庭田家は、藤原氏北家である園家の支流。  壬生道吉の養子となり、1850年には昇殿している。  正室は四辻公績の四女・重…
  • 広岡正秋(広岡久右衛門正秋)  あさが来た加島屋の9代目当主

     広岡正秋(広岡久右衛門正秋)は、広岡信五郎の弟で1844年生まれ。  広岡家は、大阪の玉水町(大阪市西区土佐堀通)にて、米問屋と両替業を兼営していた「加島屋広岡家」。  堂島米市場の重鎮として、徳川幕府や諸藩の財用…
  • 東久世通禧 兵器に精通し北海道開拓にも尽力した公卿

     東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は、東久世通徳の子として、1833年11月22日に生まれた。  東久世は久我家が本家の村上源氏であり、岩倉具視の岩倉家と同族の公卿で、蔵米30石3人扶持の下級公卿の家柄であった。 …
  • 長州藩や薩摩藩が倒幕に傾むいたその背景・財力・借金は?

    そもそも長州藩は、なぜ水戸藩同様に早くから徳川幕府の政治に反対を唱える事になったのだろうか? どうして、幕府のやり方に不満を募らせる事になったのか?をまず調べてみた。 まず、吉田松陰が生まれた次の年である1831…
  • 尾崎三良とは 総裁・議定・参与の三職を考案した英傑

     尾崎三良(おざきさぶろう)は、尾崎盛之と4男として、1842年1月22、山城国葛野郡西院村(京都市西院)に生まれた。幼名は捨三郎、別名を戸田雅楽とも言う。  母は桃華子。  幼い頃に両親を失くしたようだが、学問…
  • 高崎佐太郎(高崎正風) 武力討伐に反対した薩摩藩士

    高崎佐太郎(高崎正風)-(たかさきさたろう、たかさきまさかぜ)は、薩摩藩士・高崎温恭(高崎五郎右衛門温恭)の長男として1836年7月28日に、薩摩・鹿児島近在川上村(鹿児島市川上町)にて生まれた。 母は新納常善の娘・登…
  • 鷹司輔熙とは 名門・五摂家ながら振り回された幕末の関白

     鷹司輔煕(たかつかさすけひろ)は、、藤原氏摂関家鷹司家である関白・鷹司政通の子として1807年11月7日に生まれた。  母は水戸藩主・徳川治紀の娘・徳川清子。  1817年に元服すると、1818年5月には従三位…

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