カテゴリー:長州藩
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白石正一郎(しらいししょういちろう)は、長門の赤間関竹崎にて萬問屋(荷受問屋、廻船問屋)の小倉屋主人・白石卯兵衛の長男として、1812年3月7日に生まれた。通称は駒吉。または熊之助。号は橘円。
母は艶子。
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遠藤謹助(えんどうきんすけ)は、長州藩士の子として1836年2月15日に生まれたが、幼少期の頃は良くわかっていない。
遠藤太市郎の弟とされる。
1862年、長州藩がイギリスから購入した蒸気船「壬戌丸」(ラン…
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井上勝(いのうえまさる)は、長州藩士・井上勝行の3男として1843年8月1日、萩にて生まれる。
程なく野村家の養子となり野村弥吉と称した。
16歳のとき、藩命で長崎にてオランダ人から兵学を生部と、翌年には江戸…
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吉川経幹(きっかわつねまさ)は長州藩の支藩となる周防岩国領(6万石)の第11代領主・吉川経章の長男で、1829年9月3日に生まれた。通称は監物。幼名は亀之進。
母は家臣・長井元幹の娘・梅(清操院、長井省吾の妹)。
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草莽崛起とは?草莽崛起(そうもうくっき)の意味を調べてみました。
「草莽」とは『孟子』にて、草木の間に潜む隠者、すなわち一般大衆(国民)の事を差します。
「崛起」とは「立ち上がれ」という意味との事です。
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中原復亮(なかはらまたすけ)は、長州藩・大津郡三隅豊原の農家の子として1843年11月7日に生まれた。
俊応と言う僧侶の長男であったともあり、中原衛門七復亮(中原衛門七)とも言う。
1863年の下関戦争のあ…
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宍戸たまき(ししどたまき、宍戸璣)は、長州藩士・安田直温の3男として1829年4月18日に生まれた。
幼名は安田辰之助。名は子誠、のち敬宇。
妻は清水谷公正の娘・千枝子。
安田辰之助は玉木文之進…
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小倉健作(松田謙三)は、長州藩の藩医・松島瑞蟠の3男として1832年1月8日に生まれた。
兄に松島剛蔵と楫取素彦(小田村伊之助)がいる。幼名は百合熊、字は士健、号は鯤堂または剣槊。
明倫館の学頭を勤めた小倉…
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