タグ:尊王攘夷
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三条西季知(さんじょうにしすえとも)は、三条西実勲の子として1811年2月26日に生まれた。
母は三条実起の長女。
通称銓丸、字は子迪、名は知、変名榎木藤一郎、号は蓬翁。
香川景樹や高松公祐の門人と…
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尾崎三良(おざきさぶろう)は、尾崎盛之と4男として、1842年1月22、山城国葛野郡西院村(京都市西院)に生まれた。幼名は捨三郎、別名を戸田雅楽とも言う。
母は桃華子。
幼い頃に両親を失くしたようだが、学問…
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中川宮(久邇宮朝彦親王)とは
中川宮朝彦親王(なかがわみやあさひこしんのう)、久邇宮朝彦親王は、伏見宮邦家親王の第四王子として1824年3月27日に生まれた。幼称は富宮。
母は女房の鳥居小路信子。
1836…
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白石正一郎(しらいししょういちろう)は、長門の赤間関竹崎にて萬問屋(荷受問屋、廻船問屋)の小倉屋主人・白石卯兵衛の長男として、1812年3月7日に生まれた。通称は駒吉。または熊之助。号は橘円。
母は艶子。
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吉川経幹(きっかわつねまさ)は長州藩の支藩となる周防岩国領(6万石)の第11代領主・吉川経章の長男で、1829年9月3日に生まれた。通称は監物。幼名は亀之進。
母は家臣・長井元幹の娘・梅(清操院、長井省吾の妹)。
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草莽崛起とは?草莽崛起(そうもうくっき)の意味を調べてみました。
「草莽」とは『孟子』にて、草木の間に潜む隠者、すなわち一般大衆(国民)の事を差します。
「崛起」とは「立ち上がれ」という意味との事です。
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中原復亮(なかはらまたすけ)は、長州藩・大津郡三隅豊原の農家の子として1843年11月7日に生まれた。
俊応と言う僧侶の長男であったともあり、中原衛門七復亮(中原衛門七)とも言う。
1863年の下関戦争のあ…
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陸奥宗光(むつむねみつ、伊達小次郎)は、紀州藩士・伊達宗広の6男として、1844年7月7日に生まれた。
母は政子(渥美氏の娘)。
この伊達家は500石の大身で、父は国学者・歴史家として知られた為、陸奥宗光も尊王攘夷に…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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